大学に入る為に越してきた街には、大きな時計塔があった。
古びたそれは、毎日昼の十二時に、ごーんごーんと街中に鐘の音を響かせていたそうだ。
そうだ、というのはこの時計台、三年ほどまえに管理者が亡くなり、亡くなったと同時に役目を終えたように動きを止めた。中の歯車が致命的な壊れ方をしたそうで、直すにも結構かかるらしく、今も時計塔は管理者が亡くなった時刻で止まったままだ。
まるで「おじいさんの古時計」と同じねと多貴子さんは笑う。
「四度目の鐘が鳴ってる間だけ、異世界の扉が開いたのよ」
鉢植えの紫陽花に水をやりながら、亡くなった管理者の孫娘である多貴子さんはそんな冗談を言う。
「へえ、それはすごい」
その紫陽花をスケッチしながら、あたしは鼻で笑った。五つ年上の多貴子さんは、セミロングの髪の毛を背中の方にやって、心外そうな顔をする。
「本当よ。何度も行ったことあるもの」
「行ったって、異世界へ?」
「ええ。行くだけはね」
笑いながら尋ね返したあたしに、多貴子さんは至極真面目な顔でうなずいた。
「初めて行ったときは帰るのが大変だったわ。あちら側にも時計塔があって、それが同じように扉の役目をしていたのだけど、でもその時計塔は私が行く随分前にすでに壊れて止まっていたのよ」
鉛筆を動かす手を止めて、あたしは「それでどうやって帰ってきたんです?」と尋ねると、多貴子さんは「おじいちゃんよ!」と怒ったように腰に手を当てた。
「私が困っていたら、こちらからおじいちゃんがやって来たのよ。部品を持ってね。おじいちゃんたら、一人で何度もあちらに渡っていたから、あちらの時計塔が壊れていたことも知ってたのよ」
知ってたのに、三日も放置されたのよ!と多貴子さんは怒った顔のまま、他の鉢植えに水をやり始める。たっぷり水を与えられた紫陽花は、紫色の花に水滴をつけてきらきらと輝いているように見えた。
「異世界って、どんなところだったんですか」
まだ半分冗談だと思いながら、あたしは鉛筆で紫陽花の水滴一つ一つを描こうとする。それに水をやる多貴子さんの姿も描き入れたかったけど、小さなスケッチブックに大きく紫陽花を入れてしまったから、どう頑張っても多貴子さんの膝ぐらいしか入らない。
「そうねぇ、小さな、青い海に囲まれた街だったわ。果物が美味しくてね、こっちにはない、不思議な形をしていたんだけど」
あたしが疑っていることも知らず、多貴子さんは懐かしそうに、異世界で食べたという謎の青い果実の話をしてくれる。他にも、聞きなれない言葉、美しいらしい民族衣装。迷い込んできた幼い多貴子さんに優しくしてくれた人々。放置された三日間に起きた楽しげなエピソードの中に、やんちゃな小学生だったという幼い多貴子さんの姿が見え隠れする。
あたしがもし子供のころからこの街に住んでいたら、多貴子さんと一緒に向こうの世界に旅行に行ったんだろうか。知らないものや、新しいものを見に行けたんだろうか。そうしたら三日と言わず、一週間、いや夏休み中ずっと、ううん、もしかすると帰ってこないかもしれない。
「そういえば、おじいさんって、なんで異世界に行ったり来たりしてたんですか?」
ふと気になって訪ねると、多貴子さんはああと笑いながらため息交じりに頷く。
「おばあちゃんの故郷だったの。あちらで出会ったんですって。私が小学校に上がる前に亡くなってしまったから
、あまりお話聞けなかったんだけど」
役目を終えて今はどこにもつながらなくなった時計塔を見上げる。異世界から鐘の音が聞こえたような気がした。
書いたの:2014/11/20 フリーワンライ企画お題使用(ワンライには不参加)
お題:紫陽花 海 時計塔
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