姉貴襲来。

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 終わりの始まり。というフレーズが脳裏に過った。
 寝しなに届いたメールは、夢の中の出来事だと思い込んでいた。
『ママからの物資が届いたから、明日午後イチそっち持ってく 姉』
 何度見ても文面は変わらず、枕から頭を上げて見た時計の針は変わらな――いや、刻々と進み続けている。
 今十時すぎである。午後イチという曖昧な表現では正確なタイムリミットを判断できないが、姉貴の性格からして、どれだけ長く見積もったとしても、三時間、四時間はまずない。
 三十秒かけてその数字を出すと、俺は一人暮らしを始めてからかれこれ一か月は敷きっぱなしの万年床予備軍から跳ね起きる。
 この三時間、もしかすると二時間の間に、この散らかしきった部屋をどうにかしないといけなかった。
 まずはと壁に隙間なくはりまくったポスターを剥がす作業から始めた。
 


 姉貴と俺は年子の姉弟である。
 姉貴の性格を一言で言うならば真面目。もう一つ付け加えるなら堅物。更にいうなら頭が固い。
 中学に入ってからオタク趣味に目覚めた俺に説教するのは、母ちゃんよりも姉貴の役目だった。
 弟がオタクなんて恥ずかしい。みっともない。真面目に勉強して。
 さんざん言われた三つの言葉だ。一応言っておくが、俺なりに勉強は真面目にやっていたつもりだ。そりゃあ、姉貴には及ばなかったかもしれないけど。
 あと「せめて近い女の子を好きになって」もよく言われたものだった。ホントはクラスに気になる女の子だっていたけど……。わざわざ姉貴に言わないだけで。姉貴は同世代女子が夢中になる男性アイドルにも興味がなくて、俺がCDを買いあさる度に嫌な顔をしたものだった。
 よってこの今オタ趣味全開の部屋(しかも汚い)をどうにかしないと、場合によっては「やっぱり一人暮らしさせるべきじゃなかった。同居しましょう」とか言い出しかねない。
 最近ド嵌りしたアイドル「ましろん」のポスターを外し、折らないよう慎重に丸め、その他見られたくない本やゲームを押入れに仕舞い込む。食い散らかしたままのカップ麺を無造作に袋に突っ込み、出し忘れて悪臭放つ燃えるごみを袋を二重にして縛ってゴミ箱の奥底に沈める。
 カンカンカンと時折聞こえるアパートの鉄製の階段を上る音に何度も飛び上がり外を確かめた。流石にまだ昼前だ。午後じゃない。
 溜めこんだ洗濯物を洗濯機に突っ込んで、布団を畳んで散らばした物を一まとめにし、やっと見えた床に掃除機をかける。このあたりで空腹で眩暈がし始めた。朝から何も食べてない。でも食べてる場合じゃない。
 洗濯ものを干したら、十二時半を回っていた。
 ゆっくりと階段を上る音が聞こえて、俺は押入れだけは開けないでくれと祈りながらチャイムの音を聞いた。
「あら、意外に片付いているのね」
 久々に見た姉貴はふんわりとパーマをかけたのか、少し雰囲気が変わっていた。
「はいこれママからのお野菜とあといろいろ。ちゃんと食べてるの? カップ麺ばっかり食べてるんじゃないの?」
 図星だけど「ちゃんと食べてる」と言い返した。と同時に腹が鳴ったので、姉貴は言わんこっちゃないと顔をしかめた。
「もう! ちょっと台所貸しなさい!」
 荷物を置くと、有無を言わさず姉貴はヅカヅカと台所へ押し入る。
 幸いにして、ほとんどお湯を沸かすぐらいにしか使っていない台所はわざわざ掃除するまでもなく綺麗だ。冷蔵庫の中もなにもなくてきれいだけど……。
 ほどなくして狭いワンルームの中にいい匂いがし始めて、思わず期待に胸を膨らませたところで、姉貴の鞄の中から軽快なリズムに合わせてアイドルの女の子の歌声が聞こえた。
 少し思考が停止する。
 だってそれは俺が聞き間違えるはずはない「ましろん」の声がする。これは先月でたばっかりの新曲だ!
「姉貴……携帯なってる?」
「あら、バイトからかも。出してくれる?」
 味噌汁の味噌をときながら振り向いた姉貴に言われるままに、鞄をあける。姉とはいえ女子の鞄を開けるのには少し躊躇う。
 着信を知らせる音はすでに止まっていた。その代り薄っぺらくてでかい画面に、でかでかと表示されるましろんの壁紙。二度見どころか三度見までして、思考が停止した。
 えっまじで?
 ここで振り返りましょう。数々の姉貴の俺の趣味批判を。
「あの……おねえさん?」
「なぁに?」
 困惑する俺に、姉貴は気づかず笑顔で振り返った。声をかけたもののどう切り出せばいいのか。
「はい、携帯。あの、可愛い壁紙だね」
「そうなの! 最近好きなのよねー真白ちゃん。すごい頑張り屋さんなの! あなたも真白ちゃんみたいな女の子好きになったら?」
――このクソ姉貴。
 流石に口に出せなかった悪態をつきつつ、その後出てきた味噌汁とオムライスは、うまかった。


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書いたの:2015/6/6フリーワンライ企画お題使用(ワンライには不参加)
お題:終わりの始まり 夢の中で カンカンカン
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