氷雨の夜

TOP



 天気が悪い日は、頭が痛くなる。
 おまけに海のすぐ側にあるこの基地では、雨と波の音が混ざりあって、その日は特に頭がどうにかなりそうだった。
 痛みを堪えて目を閉じれば、ヒタヒタと化け物の足音が聞こえる気がした。
 全ての生き物がそうであったように、あの化け物たちは、海からやってくる。百年前に奴等に奪われた海を取り戻すための戦いは、なんの成果も得られないままひたすら繰り返されている。
「おい、秘密主義も大概にしろや」
 乱暴にドアを閉めて、氷哉は来るなりそう言った。
「何がかね」
 気だるく言い返せば、彼は目を吊り上げて私のデスクの真ん中に手のひらを叩きつける。机の上の物が跳ね上がり、昼間部下の誰かが生けてくれた花瓶の花が倒れて水が広がった。
「俺の異動についてだ! なんで一言もなくいきなり!」
「部下の人事権は全て上司の私にあるでしょう。貴方にどうこう言われる筋合いはないわ」
 氷哉は言葉を詰めると、ひどく傷ついた顔をしてみせた。
 机の上にじわじわと広がった花瓶の水が、まるで私たちの関係のように思える。
 覆水盆に返らず。花瓶の水は戻らない。
「なんで……よりによって、昨日の今日なんだ。そんなに俺が嫌いなのかよ」
 昨日、氷哉から守りたいと言われた。私を守るためにこの部隊に志願したのだと。
 私のために死ぬのだと、そう言った。
「貴方の力を買ってるのよ。横須賀の黒滝隊は優秀よ、貴方の力を発揮できる。ここに居続けるよりも」
 彼にああ言われたとき、確かに私は嬉しかったのだと思う。けれど同時に、知らないまままで居たかったと思う。
 知らなければ、彼の望みは多分遂げられた。けれど、知ったからにはそうしてやるわけにはいかなくなった。
「それが、答えなのか」
「……そうよ」
 頭が病む。たまらなくなって引き出しから鎮痛剤を取って水差しから水を汲んだ。
 氷哉は頭を振ると、私に背を向けて部屋を出ていく。
――私のためなんかに、死なないで。
 薬と一緒に想いの残滓を飲み込んで、その姿を目に焼き付けた。
「なんしい」カテゴリの最新記事


TOP

書いたの:2016/3/25フリーワンライ企画お題にて
お題:雨と波 秘密主義 想いの残滓を飲み込んで
Copyright 2016 chiaki mizumachi all rights reserved.