幸せな夢

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「おいしくない」
 べ、と舌を出しながら、俺の布団の上で夢喰いの真野は吐き捨てた。
「最近生活リズムガタガタなんじゃない。食生活もよくないでしょ。仕事忙しいの? 近頃ずっとそうなんだけど」
 ベッドから降りながら言い当てて、口直しとばかりにぐいと酒を煽る。
 生活リズムがガタガタなのは真野だってそうだ。夢喰いに成ってから、朝寝て夕起きる生活だ。いや、ある意味きっちりと決まってるのだから規則正しい生活ではあるのだろう。ただ元々の人間らしい生活からは外れただけで。
「おやすみ。帰ってきたら起こして」
 不機嫌そうなまま俺を布団から追い出して、そのままごろりと丸くなった。
 真野が人間をやめてしまったのは、今から五年ほど前のことだ。失恋した上に就活に失敗して、引きこもって、三か月会わない間にどういうわけか妖怪になっていた。その経緯を、真野は決して俺に語らない。そして時折、しっかり戸締りしているはずの俺の部屋へ寝ている間にやってきて俺の夢を喰らい、そして毎朝感想を言うのだった。
 起こしてなんて言うけど、きっと帰ってきたら真野はいない。俺たちに会話らしい会話は存在しない。いつもどちらかが一方的にボールを投げて、片方が受け取ったのを見届けて遮断してしまう。人間だったころから、そういう傾向はあったけれど。
「……恨んでいるのか、俺を」
 ネクタイを結びながら投げた俺のボールは、そもそも真野に受け取られたのかも分からなかった。
 


 きっと誰かに話しても、疲れているだの、精神病だのを心配されるに決まっているから、言えない。
 今夜もまた真野は来るだろうか。来るだろう。それは確実なのに、そればかり考えてしまう。
「疲れた顔をしているね。それなのに呼び出してごめん」
 隣でワイングラスを揺らしながら、綾季は俺にしなだれかかる。
「いや俺も逢いたかったから、良いんだ。何かあった?」
 俺の回答に綾季は嬉しそうに口元を緩め、先月贈った薬指の指輪に触れた。ぽつぽつと話し始めた仕事の愚痴を聞いている風を装って聞き流す。
 真野は必ずやってくる。綾季と逢った翌朝は必ずだ。だからこそ、真野を捨てた俺を恨んでいるのかと思う。
 いや、捨てられたのは俺だったはずだ。人間だった頃の真野との最後の記憶は酷く曖昧で、彼女が本当に人間だったのかすら、俺の頭の作り出した捏造なんじゃないかとすら思える。他の誰も、真野のことを口にしない。幼馴染だった、綾季さえも。
「ねえ、聞いてる?」
「ああ」
 綾季と逢えば、真野に遭える。
 本当はどちらとあいたかったのか分からないまま、俺はぼんやりと真野に食われた昨夜見たはずの旨くない夢を思い出そうとしていた。
「隆信? 本当に大丈夫?」
 心配そうな綾季に、俺は曖昧に笑う。
「週末の予定、大丈夫? 式場見学」
 綾季の薬指に嵌ったダイヤの指輪に視線を落とす。
――でもあれはきっと、幸せな夢だったはずなのだ。


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書いたの:2017/7/15フリーワンライ企画にて
お題:夢喰い
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