幸せな瞬間

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「ユウさまー、お弁当ですぅー」
 おしるこに砂糖を山盛りかけたみたいな声が昼休みの教室に響いても、二年三組ではもはや毎日のことであって、誰も気に留めやしない。
「……何、あれ」
 たまに遊びにやってきた別クラスの生徒が奇怪なものを見る目をしていても、クラスメイトたちは「なにが?」と普通の顔をしている。
「ああ、黒松内さんと外浜くんがお昼食べてるだけじゃない」
「いや、でも、さあ……」
「ユウさま、はい、あーん。きゃー可愛い! 大好き!」
 先日の席替えで外浜祐志郎の席は、教室のほぼ真ん中になった。お蔭で黒松内玲愛は教室の中心で愛を叫ぶようになり、誰かがそれを最初に口にしたときにはさすがのクラスメイトも笑いを堪えたが、一週間たってやっぱりそれもいつもの光景と化した。
 玲愛は自分が座る椅子をぴったりと祐志郎のそれにくっつけ、体を密着させて手製の弁当を祐志郎の口に運ぶ。食べさせられる祐志郎もすっかり慣れたもので、玲愛の方をほとんど見ずに、他の級友たちと談笑なんかしながら食事をしているのだ。
 それでも最初のころは玲愛が祐志郎の膝の上に座ってしていたのだから、現状はこれでも離れた方だった。
「誰も突っ込まないの?」
「まあ、意味ないし……」
 チャラリ、と鎖の音が鳴る。
 黒いセーラー服を着た玲愛の細く白い首には赤い首輪が巻かれており、それにつながる細い鎖は、祐志郎の左手がしっかりと握りしめていた。


 祐志郎のどこが好きなのかと聞かれたら、玲愛は間髪おかずに「優しいところ!」と答えるだろう。
 とはいえ、級友たちは彼が彼女に優しくしているところなど、一切見たことがない。祐志郎は玲愛の存在をないものとして扱っている。少なくともそう見える。
「それにあの笑顔を見ると、母性を揺さぶられるのです!」
 両手で頬を覆って、照れたように玲愛は続けて答えるが、祐志郎はクラスでもめったに笑わない、クールな男である。
 どうやら何か彼女には別のものが見えているようである、というのが二の三では定説であり、いつからか触れてはならないことにもなっている。
 玲愛の献身ぶりは枚挙に暇がなく、
「次体育か」
「はい、ユウさまジャージ」
 たとえば祐志郎がそうぽつりと呟いただけで玲愛は下ジャージ上ジャージTシャツ、という順番で綺麗に畳んである一式を取り出すし、体育が終われば脱ぎ捨てられるそれら一式を、玲愛は嬉しそうに畳んで自らの鞄にしまうし、
「……腹減った」
 などと言えばもちろん、「おやつです!」と手作りクッキーやらケーキやら、祐志郎の気分によっては煎餅まで出てくる。
 それらを当然の物として受け取り、礼ひとつ言わない祐志郎に以前女子生徒が苦言を呈したこともあるが、「いいんだよ」と彼は素っ気ない。
「そんなんじゃ、いつか愛想つかされて逃げられちゃうんだから」
 冗談めかした女生徒の台詞に、祐志郎は鼻で笑った。
「簡単には逃がしてやらないよ」
 そう言って滅多に見せない笑顔を浮かべるから、以来、彼の方も触れてはいけないものとされた。要するに、似た者同士の触れてはいけないカップルなのだ。


「わたしが、かわりに、なってあげる」
――あれは忘れもしない、六年前の六月二十日の日曜日、午後五時を告げるチャイムが鳴って、少しした頃のことです。
「……お前が?」
 あの日、ユウさまは唯一の親友だったペットのレイを亡くされまし、亡骸を庭に埋めて、傘も差さずに街中をさまよっている最中でした。
 ずぶ濡れの赤い首輪を握りしめる指は、その日朝から降り続けていた雨によって氷のように冷たく冷えていましたが、前日の夜から公園の滑り台のトンネルの中で夜露と雨をしのいでいた私にとって、むしろそれはなによりも暖かく、久々の他人の温もりでした。
 今思えば、あの日の私は何日もお風呂に入れてもらえず髪も伸び放題、同じ服を着続けていて、ユウさまの前でなんという恥ずかしい姿をしていたのでしょう。それでもユウさまは笑うこともひくこともせず、馴れ馴れしく話しかけた私を相手に一つ約束してくださいました。
「ユウさま、帰りましょう」
 放課後、私がそう言うとユウさまは無表情の奥にほんの少し寂しい色を見せます。この方はおうちに帰りたくない人です。近隣で一番大きなおうちに住んでいても、誰もいないあの場所に帰るのはいやなのです。
 六年前のあの雨の日、私はユウさまと約束しました。私が親友だった彼女のかわりとなり、生涯決しておそばを離れないと。そのかわりに、毎日親にぶたれ、殴られるような私に、存在する意味をもたらしてくれると。
「……行くぞ、レア」
「はいっ」
 ユウさまが私の鎖に指をからませて、小さく引きます。まるですがるように、鎖を引くのです。
 私は、この瞬間が一番幸せです。


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書いたの:2014/12/26 フリーワンライ企画にて
お題:揺さぶられる母性 雨の日の約束 簡単には逃がしてやらない
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