白亜の森

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 気が付いたら、居なかった。
 つないでいたはずの手が離れていて、俺は驚いてあたりを見回す。
 当たりは不気味なほどに静まり返っていて、名前を呼んでも気配すら感じ取れない。
 風が通り過ぎる。
 探さなければ、と思ったと同時に、けれど立ち止まってはいけなかったとも悟った。嫌なにおいが風に乗って。恐ろしいものが近づいてきていることが嫌でもわかる。これは、知っている。血の匂いだ。
 縫い付けられたかのような足を何とか地面から引きはがし、俺は彼女の名前を呼びながら走り出した。
 人を喰らう獣がでるから、森に入ってはいけないと大人たちから口を酸っぱくして言われていたが、その大人たちが居なくなってしまった以上、慣れ親しんだ土地を捨て、大人たちと同じ病に冒された彼女と二人、森に入って別の村へ行くしかなかった。
 探さなければ。探さなければ。
 村の大人たちを襲った奇病は、人の皮膚がどんどん鱗のようにひび割れ硬くなり、最期は全身がそうなって動けなくなるものだった。
 彼女の病の進行は、緩やかではあったものの、すでに左腕と顔の左半分が鱗状になっていたはずだ。半分固まってしまった顔で、うまく笑えない彼女の笑顔がどうしてももう一度見たかった。
 まだ彼女は走れるはずだった。けれど、その最中に、唐突に発症するその病が足に出たならば。
 どうして手が離れたことに気が付かなかったんだろう。あんなに離すまいと決めていたはずなのに。
 どんっとつま先が何かを蹴り、俺は前方に倒れこんだ。
 痛みに呻きながら顔を上げると、目の前に真っ白な細い幹の木が前方に手を伸ばすように枝を伸ばしている。
「あ、ああ……」
 枝を通した銀の輪が目に入る。それは、平和だったころに俺が彼女に贈った、はずの。
――俺たちの村は森に飲み込まれかけていた。あの病にかかった大人は最期、白い樹木になってしまうのだった。
 涙がこぼれる。血の匂いがついに草むらを揺らす音に変わっていたが、俺はもう気にしなかった。


★★★


「ぎゃ!」
 どすん! と衝撃で目が覚めた。
 思わず悲鳴を上げて、ばくばくと音を立てる心臓の音を聞きながら、俺の肩にくっついた茶色の頭頂部を見た。今の衝撃はこれか。
「こわいゆめみたあ!」
 俺の肩と融合でもしたいのかと言うレベルでぐりぐりと肩に額をこすり付ける嫁の頭を撫で、夢の内容を滔々と語る彼女をなだめる。
 眠りについた時はベッドのしかるべき位置にいたというのに、いつの間にか寝相の悪い嫁に押しやられて、ベッドと壁の直角に押し込まれていた。もう何度目だこれ。
 半泣きの嫁の肉付きのいい左頬をむにっと引っ張る。すべすべして柔らかいし、暖かい。
「ふぁに?」
 困惑した顔で銀の指輪が嵌る手で握り返してきた彼女に、俺も怖い夢見たよ、と思ったが、なんでもないとだけ返した。


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書いたの:2014/9/26 フリーワンライ企画にて
お題:探す 夢オチ(オチ指定)
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