俺と狐

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「あんたさあ、他に友達居ないの?」
 太くて長い六本の尾をゆったりと揺らしながら、少年は小さな祠の屋根の上で呆れたようにクツクツと笑う。
 少年、のはずだ。少なくとも見た目は。その美貌と色香で近所の女どもを誑かしていたというのだから、変わった趣味でなければ男だろう。年齢は計り知れない。その誑かし事件だって、俺が生まれるずっと前の話だ。
「いない」
 むっつりとして言い返せば、「あらかわいそう」とさらに笑われた。
「それで、今日はなんだって? 逢引に誘った結果かい? 暇だから聞いてやるよ」
 屋根のうえで寝そべり、狐の少年は俺が持ってきた夕飯の残り物でもある好物の刺身を一切れつまんで気だるげに言った。
 この狐、数十年前に街で悪さをしていたところを俺の祖父につかまり、祠に封印されたらしい。
 その封印が解けかけているのかそれとも俺の方に問題があるのか、姿が見えるようになったのは俺が七つの時だった。
――扉を開けておくれ。それと何か食えるもの、持ってないか
 母に持たされていた弁当に入っていた卵焼きをくれてやったのが、最初のやり取りだった。
「報われないねぇ」
 ともあれ俺の愚痴めいた恋の顛末を聞きながら、刺身をあらかた食べ終えた狐は笑う。
 恋の顛末というのは、簡単に言えば、三年も恋い焦がれ、方々の手を尽くしてやっと仲良くなった女子にあっけなく振られた、それだけの話だ。
 それだけの話でもそれなりに傷ついて、誰かに愚痴りたくてここに来た。さっき狐に言った通り、俺には愚痴れる友達がいない。まっさきに思いついたのがこの生意気な狐なのが、少し悲しい。
「あれだけ貢いだのにな」
 けれど笑われたことで逆に気が楽になって、茶化したような返しができた。
「他にもいい女はたくさんいるさ。おミツとかどうだ?」
「なんであんな婆さんの名前が出て来るんだ」
「の、孫やら娘ならそれなりじゃないのか?」
「あそこは子も孫も男だけだ」
「勿体ない」
 勝手なことを言う狐を尻目に、俺は持ってきた筒状の包を取り出した。人にそっくりの頭の上に生えた獣の耳がぴくりと揺れる。
「なんだい、それ」
「万華鏡。ユキが欲しがってたから。でも、渡さなかった。高かったんだけどな」
 ほう、と狐が興味深そうに包みを覗き込んだ。でも、触れられない。狐は俺が持ってきた食い物を食べはするが、食べ物そのものはまだ皿の中にすべてある。どういうわけか、狐が食べているのは幻のようなもののようだった。
 包装を剥いで手を伸ばし、狐の目のあたりに持って行ってやると「ほほう!」と子供の様にはしゃいだ声を出した。
 想い人に渡せていたら、同じ反応を得られていたんだろうかと、ふと考える。笑顔と幸福、それから――それを得られていたなら、安い買い物だったはずなのにな。
「やろうか?」
 あまりに喜ぶので思わずそう言ったら、狐はちいさく肩を竦めた。
「いやあ、いらんいらん。触れないし、祠の中では使えんしな」
 俺がいないとき、狐はずっと祠の中だ。というか、俺が扉を開かなければ出てくることすらできない。
「一人でいる時、なにしてるんだ?」
 今まで思いもしなかったことを、ふと俺は尋ねていた。
「なにも」
「何も?」
「寝ている」
「……ずっと?」
「他に何もできないからな。というか、祠に入ると意識が消える。何も分からなくなって、何も感じなくなる。そう、死んでいるようなものだな。夢も見ないから」
 顎を撫でながら、退屈そうに欠伸交じりで狐は答えた。
 俺は愕然として、半開きの扉の向こうにある祠の中と、狐の顔を見比べた。何度か掃除の為に手を突っ込んだことはあるが、そんな恐ろしい空間のようには感じ取れなかった。
「それ、辛くないのか? ……封印、とけないのか」
「はは、一時の気の迷いでなんということを言うのか。ここから出たらまずお前のじいさんに仕返ししにいくぞ」
 犬歯をのぞかせて笑った狐に、俺は確かに失言だったと口をつぐむ。意識がないのなら、この数十年は一瞬だったろう。それでも、狐の恨みはそれなりにあるはず。孫の俺の相手を嫌がらずにするのが不思議なくらいだ。
「あとそうだな、ゆきを食いに行こう。あんたの仇だ」
「それはやめろ」
「そう言えばお前のばあさんを食おうをとしたのがそもそもの封印の原因だったなぁ」
 どう聞いてもそれは言外に「性的な意味で」含んでいた。ようではあるが。
「なんだそれ!」
 初耳だ。あの温厚な祖父ちゃんが何故、と思っていたが、それは封印されて当然だ。俺も怒る。
 会話を打ち切ろうと祠を閉めようとしたら、「待て待て」と慌てた声が降ってきた。
「刺身うまかったぞ。次は稲荷がいいなぁ」
「言ってろ」
「じゃあね」
 扉を閉めると同時に、ぱしんと音を立てて狐の姿は消えた。
 狐は俺がまた来るのを疑わない。無意識にばあちゃんに稲荷寿司を作ってもらう口実を考えている俺に気が付いて、頭を掻いた。


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書いたの:2015/6/19フリーワンライ企画にて
お題:報われない 焦がれる 万華鏡 笑顔と幸福、それから
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