薬とココア

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「もうすぐ死ぬとして、生の終わりの前に何がしたい?」
 戦闘に出るための装備の準備をしながら、わたしは同輩にふいに尋ねる。
「うーん、甘いものが飲みたいかなぁ。ココアとか」
 無味無臭のはずの薬の入った水を飲み干して、フタハは僅かに顔をしかめた。
 随分前から味覚がバカになってるらしい彼女は甘味以外のすべての味が苦く感じると訴える。
「それ今の気分でしょ」
「最期のココアだよ。きっと人生で一番甘いと思う」
「そりゃあココアはいつだってきっと甘いだろうよ」
 自分のブーツの紐を結び直して、わたしはフタハが飲み干したボトルを捨ててやる。
「ココア飲みたいなー。ケイカの作ったココアが飲みたい」
 フタハは甘えた声でそういうと、私の背中にぴったりとくっつく。
 誰かきたらどうするんだよ、と思いながらも、後ろから伸びてきた手を握る。
「戦場から帰ってきたら作ってやるよ」
「やだ、それ死亡フラグ。でも約束だからね、忘れないでよ」
「そっちこそ」
 何がおかしいのか、フタハは背後でくすくすと笑う。吐息が耳にかかってくすぐったい。
「ケイカとの約束は忘れないよお。ケイカもそうでしょ? 最初にした『あたしを守る』って約束、ずっと守ってくれてる」
 長く続く戦争で、すでにこの国に兵を育てる余裕はない。ロクに銃器を扱えない人間を兵士に仕立てるために、国が行ったのは戦争の休止でも兵士の育成でもなく、一般人を兵にする薬だった。行き過ぎた投薬は人格を失わせたが、それはそれで兵同士の連携に不具合を生じさせる。そこでこの国は、今度は自己を安定させる薬をつくった。そしてまたその薬の為に引き起こる不具合を修正する薬を作り――いたちごっこを繰り返している。今でも副作用は完全になくならず、フタハを始め多くの兵士は味覚障害と、一時的に世界が血の赤に見える色覚異常に悩まされている。
 幸か不幸か、わたしは薬に頼らずにも銃器をうまく扱えた。けれどフタハはもう薬を手放せない。薬なしに銃を握れば、たちまち己を見失って、二度と今の彼女にも戻らないだろう。
 約束どころかわたしのことも、何もかも分からなくなって、敵も味方も見境ない、ただの殺戮マシーンになるだけだ。
「さあ、どうかな」
 本当はもうすでに、フタハはたくさん忘れてる。両手と両足の指の数じゃ足りなくなってから、果たされなかった約束を一つ一つ数えるのはやめてしまった。
 けれどわたしには彼女を何一つ責められない。約束を最初に破ったのはわたしの方だ。
 わたしはフタハを、守らなかった。
――もういやだよ、ケイカ。このままじゃ私じゃなくなっちゃう。薬はいや。真っ白になる。戦いたくないよ。殺したくないよ。それならいっそ、私を
 だって嫌がる彼女が苦しまないよう、多くの薬を飲ませたのは、わたしだもの。
「今日も頑張ってたくさん殺して、生きて帰ろうね」
 抱き着いたままぽんぽんと私のお腹のあたりを優しく叩いたフタハに、わたしは返事ができなかった。


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書いたの:2015/1/24フリーワンライ企画にて
お題:終わりの前に 色(種類自由・赤) ココアはきっと甘いだろうよ トリガーハッピー
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