あの子の夢が早く潰えたらいいのに

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「牛乳はあっためてください」
 少し舌足らずな調子でカナデはいつも通りにそう言った。寝不足の為かその目はずいぶん虚ろになっており、乗船してきた頃の輝きは見る影もない。
 言われなくとも、と思ったが、口には出さずに指示どおり、牛乳を慎重に移し替え、スチームにかける。
 多くの生徒が利用するとはいえ、カナデは毎日同じ時間帯にやってくるこの喫茶コーナーの常連だ。同じ言葉を毎日繰り返せば、流石に注文を受けるこちらだっていくらなんでも覚える。
 けれど彼女はこちらの顔を一切覚えていないようで、狭い宇宙船内をすれ違っても会釈一つない。彼女は今自分のことで精一杯なんだよと教えてくれたのは、彼女の同期の生徒だ。
 星立宇宙学校の生徒は、卒業前の最後の一年を宇宙で過ごす。二十四時間三百六十五日、その間ずっとが授業として評価され、ひと月ごとに出される成績が、この後の彼らの進路に大きく影響を及ぼす。
 その期間も残すところあと一か月。わずかだ。期待に満ちていたはずの船内はいつの間にか鬱々とした空気が充満し、外へ出たいと渦巻いているような気さえする。
 私は補助員として二年ごとにこの船で授業に同行しているが、この時期が一番好きだ。決して人には言えないけれど。
 エリートと呼ばれる彼らの目が濁っていくさまをながめると、胸がすくような気持ちになる。
「カナデはまだ決まっていないの?」
 あとからやってきた女の子にそっと尋ねる。彼女の瞳が他の生徒より落ち着いて見えるのは、素質がある人間だからだろう。そういう人は、私のような屈折した人間にも平等に接する。私が教員でもない文字通り便乗職員だからといって、無視したりしないのだ。
「ええ、まだ。というか多分駄目だろうって。先月もその前の評価もAだったから。船外活動が、ねぇ、あんまり」
「目標を代えたらいいのに。民間ならAでも引く手あまたなんでしょ」
「宇宙ステーションに恋人だか憧れだかな人がいるんだって。よくわかんないけどね、そういう気持ち」
 彼女は肩を竦めて、コーヒーのパックを持って自室に戻っていった。
 学校を卒業した生徒の進路はいくつかあるが、カナデが目指すのは最難関である国際宇宙ステーションの勤務だ。恋人がいるらしいという今の噂が確かなら、彼女の進路が絶たれたと同時に恋も終るだろう。なにせステーションは機密も多く激務な宇宙開発の最先端だ。別企業に勤める人間とうまくいくとは思えない。
 私は忍び笑いをして小さな窓の外に広がる暗闇を見る。ワープを繰り返すこの船は、窓から星を観るには速すぎて無理だ。それでも窓の外を眺める生徒は一握りいる。
 その中にカナデはいない。時間の無駄と馬鹿にして、課題の本を抱え直して窓に背を向ける。
 カナデはきっと真面目な生徒だ。でもだからこそ駄目だ。視野が狭すぎる。
 早くあの子の瞳が濁りきればいいのに。
 別になんの恨みもないけれど、そんなことを考えながら、私は次の生徒のカフェオレを温めた。


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書いたの:2015/5/9フリーワンライ企画にて
お題:まだ決まっていない 牛乳はあっためて下さい 星を観るには速すぎて
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