チョコの復権

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 女性がチョコを唇に当てたポーズの写真の広告は、そこから甘い匂いが漂ってきそうな錯覚を覚えた。
「へえ、キスより甘いチョコレート、ですって。師匠」
 でかでかと新聞に載った宣伝文句を読み上げ、掃除中だった僕はソファに寝そべる師匠にそう呼びかけた。
「どうせ惚れ薬入りだろ、懲りない奴らだ」
 一方の彼女はアイマスクを外すことすらせず、そう冷たく言い返された。
「本当にチョコって書いてますよ。師匠買ってきましょうよ、僕チョコ食べたことないんです」
「よせよせ、そうやって騙されて望まぬ恋愛をした連中がどれほどいたか」
 今から二百年ほど前のこと、とある孤独な少女が惚れ薬を完成させ、作り方をひっそりと公開した。本人曰く、ひっそりとだ。僕が生まれる前の話なので流石に真偽は分からない。なのに人の心を変え手しまう魔性の薬は恐ろしいことに口コミで大ブームを起こしてしまい、世界は恋愛大戦国時代に突入。薬によって奪い奪われる、勝者のいない、歪な恋愛が横行した。どれだけ法で規制しても惚れ薬はなくならず、ついに甘味まで規制が及んだ。惚れ薬はそれ自体とても苦く、誤魔化すために甘い物、特にチョコレートに仕込まれることが多かったからだ。
 それからというもの、チョコを始め、甘味が食べたければ、素材から作って一人で食べるしかない。
「大丈夫ですよ、そろそろ惚れ薬の製法も風化して、覚えてる人も減りましたもの。だから甘味の規制が緩んだんですよ」
「……そうかね」
 師匠がようやくアイマスクを左手の親指で押し上げてこちらを見る。僕は新聞を差し出した。
「誰でもいいから必要とされたかっただけなのになぁ」
 師匠がぽつりと呟きながらそれを受け取って、新しいチョコの広告を眺めた。
 その横顔はとても寂しげで、思わず僕はまだ途中なのに掃除の布巾を放り投げた。そしてエプロンのポケットから財布を出して小銭を数える。二つぐらい買えるお小遣いは、余裕で残っている。
「じゃあ早速買ってきますよ! 二つ!」
「別に一つでいいよ。もしも入ってたら目も当てられない」
「それはそれで、師匠なら大歓迎です!」
「……お前なぁ」
 誰かの為にと云いながら、結局自分の為にしか魔法を揮えなかったかつての孤独な少女はもう居ない。
 彼女が必要としなくなった薬は、もう消え去るのみだ。


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書いたの:2018/2/10二代目フリーワンライ企画にて
お題:しょうしゃ(勝者) アイマスク キスより甘いチョコレート 誰かの為にと云いながら
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