青春の墓標

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『ついに取り壊しが決まったみたいだよ、一応知らせておく』
 開くかどうするか、半日以上も迷った件名の無いメールの、素っ気の無いその一文だけが目に痛かった。
 返信をするかどうかをさらに一日迷った結果、一応送ったお礼のメールに返事はなかった。これから他の内容のメールがくることももうないだろう。
 辛うじて繋がっていた蜘蛛の糸よりもさらに細い糸がついに断ち切られたかと思ったが、嘆いている猶予は無いようだった。
 次の連休を待つこともせず、私は就職して地元を離れて以来、初めて有休を使って故郷へ戻った。
 来月から解体工事が始まるのだという私の母校は、この先の未来を知らないように、閉校が決まった五年前と変わらない姿をしていた。
 封鎖された門をよじ登って敷地内に侵入し、破られた窓から簡単に校舎に入ることができた。
 建物の外も中も、人けはなくひっそりと静まり返っていた。良くて警備員、最悪浮浪者に出くわすのではないかと思っていたが、要らぬ心配だったようだ。
 私が最後に来たのは四年前、閉校した年の夏。あの時は、私は一人ではなく、もう一人連れが居た。今は一人で、心細さがある。
 そう、あの時は、一人じゃなかった――。
 学生時代の半分以上を過ごしたはずの教室には目をくれず、私はまっすぐに教室棟から体育館へ向かう途中にひっそりとある小さな部室へ向かった。
 ドアの鍵はかかっていたが、その上の窓は開いていた。教室から机を拝借して踏み台にして、なんとか侵入に成功する。
 他の教室は多少落書き等で荒らされていたが、この部屋の中は四年前に私がやってきたときと何一つ変わっていない。
 四年前、せめてもの餞にとあの子が道端に咲く雑草を活けた花瓶がそのまま置いてあったが、腐って濁った水が少量中に入っているだけで、雑草の姿は消えている。
 少しの間だけ部室を見回して感慨にふけった後、私は教室の隅にあるロッカーの鍵に手をかけた。
 備品は閉校の時の片づけの時にすべて片づけられた、かのように見えたが、このロッカーの中だけは違う、はずだ。鍵の開け方を知っているのは数代前の部長と私だけで同期にも後輩にも伝えずにいたから、他の部員では手を付けることができなかったはず。
 ダイヤルを右に二回回して三に合わせ、左に回して六へ。
 カチリと手ごたえを感じて、錆びついたロッカーは開く。舞う埃に思わず少し咽た。
 中には私たちを含む卒業生が遺した作品集がいくつかと、ノートが一冊。
『いつか後輩が、ロッカーの鍵をこじ開けて見つけてくれたらいいね』
 卒業の時にあの子がいたずらっ子の目で言った台詞を思い出す。その三年後に閉校が決まり、結局ロッカーは誰も開けてもらえず、未来へのボトルメールは誰にも届かなかった。
 このまま瓦礫に埋めてしまうわけには、いかなかった。これさえ手元にあれば、もう校舎に未練はない。遠い日の思い出で生きるために、このノートさえあれば。
 作品集を鞄に詰め込み、ノートを開く。
『このロッカーを開けてくれた親愛なる後輩へ』
 懐かしい、あの子の丸みを帯びた字が、視界で滲む。二人で机で顔を突き合わせて文面を考えたものだった。
 涙を落とさないように注意しながらページを幾つかめくると、見覚えのない色のペンが目に飛び込んできた。
 ノートに張り付ける形のそれは、同じ字体ではありつつも、他の黒字と違って明るい空色をしていた。
 それはこのノートを開いてくれることを期待した未来の後輩ではなく、ほかでもない私に宛てられていた。
『このノートを見ているとき、私はそばに居ますか? いたらいいな。でも多分、いないと思います』
 コップ一杯にギリギリで、零すまいと堪えていた感情があふれた。
――いないよ。本当に、いないんだよ。私のそばどころか、この世界のどこにも。なんで黙ってたの。教えてくれなかったの。私、お葬式にも出られなかった。他のみんなは知ってたのに。
『今まで一緒にいてくれてありがとう。ごめんね、大好き』
 結びの文面の上に落ちた雫が丸い染みをつくった。



 暮れていく空の下を、一人でとぼとぼと歩く。
 振りかえった廃墟の校舎は、暗闇の中で墓標のように見えた。


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書いたの:2016/8/26フリーワンライ企画にて
お題:コップ一杯の感情 遠い日の思い出で生きる 道端に咲く雑草
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