美しいは怖い

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「いいか、アン。ここで生き延びたいのなら、見ざる、聞かざる、言わざるだ」
 使用人最年長の庭師は、念を押すように私にそう言った。
 薔薇の咲き誇る季節だった。空いた時間に庭を歩き回るのが一年で一番楽しい季節だ。老爺は私を見つける度、渋い顔をしつつも余ったお菓子をくれたり話をしたりと世話を焼いてくれた。五歳で亡くした彼の娘が、生きていれば私と同じ齢なのだと一度だけ聞いたことがある。
「はい、もちろん、分かっています」
 私は息を顰め、そう返事をする。
 薔薇に囲まれた園庭のベンチで、この屋敷の奥方であるラエアレナさまが名も知らぬ殿方と並んで座って編み物をしている。
 私は彼女ほどうつくしい女性を見たことがない。白い肌、赤い唇、柔らかそうな銀の髪。まるで絵本に出てくるお姫さまのようだ。五年前に嫁いでこられたときはそれ程ではなかったと先輩使用人の皆は言う。綺麗なお方ではあったけれど、十人並みであったと。それが月日が経つほどに美しくなっていったらしい。
 奥様の笑い声が聞こえた。私たちはそれに心の耳をふさぎ、聞かなかったことにする。
 私がこの屋敷に奉公を始めたときすでに、奥様は最初の子を亡くされ、ご主人様は月に一日しか屋敷に居なかった。今は別の屋敷に別の女と、その間にできた子たちと住んでいるらしい。
 そして奥様は、夫の不在を埋めるかのように殿方を屋敷に引き入れている。
「ラエアレナ様の手は冷たいなぁ」
 今日のお相手は、私と同じくらいの年頃の、そばかすの浮いた男だ。顔はよくはないが、ざらついたような低い声はそう悪くはない。奥方様の名前を気安く呼び、彼女の手を両手で包み込んでいる。不思議とお相手の殿方はみな一様に、彼女の冷たい手を温めたがるのだ。まるでそれが奥方様の心そのものであるかのように。自らの手で解きほぐそうとする。
 私たちは心の目を閉じて、それを見なかったことにする。
 奥方様のお相手は毎回違うのだ。一体どこで調達しているのか……私は一度だけ考えて、すぐにやめた。胸の内ですらそれを考えるのは危険な気がする。思案はいつか胸の内を食い破り、外に出ていきそうな、そんな恐ろしいことを考えてしまう。
「アン、そろそろ戻りなさい」
 焼き菓子を紙で包んだものを私の手に押しつけながら、庭師の老爺はそっとそう言って背中を押した。
 迂闊に出ていって大丈夫かと不安になったが、確かに戻らなくてはならない時間だ。
 そっと二人の横を通り過ぎる。奥様がちらりと横目でこちらを見た。お腹の下がふっと冷えたような気がした。この世で一番怖いことは、美しいことではないかと錯覚させる笑みを浮かべ、奥方様はたちあがり、こちらを見ずに殿方を自分の部屋へと誘う。
 緩みきった顔の男は、私に気が付かない。
 私は口元を引き結んだ。

 私たちは決して言わない。
 奥様が若い男の生き血を吸ってその身を美しく保っているなどと。 


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書いたの:2019/1/20二代目フリーワンライ企画にて
お題:怖い=美しい 冷たい手を温めたくて 見ざる聞かざる言わざる 悪くはない
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