悪夢

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「俺たちの世界は、この小さな修道院のある村のまわりだけ。でも外の世界にも人がいて、それぞれの生活がある。でももしかしたら、俺たちがそう思っているだけで、本当は実在しないのかもしれない」
 青い目が微笑む。私が世界で一番敬愛するその色は、いつも希望に満ちて、前を見ていた。
「俺はここを出て、そとの世界を確認しに行きたいんだ」
「出て行ってしまうのですか? ブルンネンを?」
 私が驚いて訪ねると、彼は優しく頭を撫でた。
 私たちは物心ついたときから親に捨てられ、この修道院で育った。貧しい国だったためか、国境にほど近い田舎の村だったというのに、大勢の血のつながらない兄と、大勢の血のつながらない弟がいた。ここに居られるのは十五までと決められているが、先輩方は修道院のある周りで畑を耕して暮らしているし、なんだかんだと食うに困らない程度の仕事はある故に、ここから離れる人間は少ない。
「お前も卒業する歳になったら、俺と共に行こう。迎えに来るよ」
「……はい。いつか、かならず」
 その次の次の春、彼は宣言通りに村を出て行った。
 シスターは最後まで反対し、職の当てはあるのかと何度も尋ねた。彼は楽観的だった。街に行けばいくらでも職はあるはず。どんな仕事でもしてみせると答えた。彼は他のどの兄たちよりも体格がよく、力もあり、また剣の腕も立った。
 手紙を書くよ、と言って手を振ったのが、私と二つ年上の義理の兄、グローゼとの最後の会話となった。

☆☆☆


 春になれば、きっと迎えに来てくれると思っていた。
「なぜ……なぜですか! グローゼ!」
 シスターの悲鳴が響いた。袈裟懸けに切り付けられ、赤い血が飛び散るが、すぐに炎の赤に飲まれた。
 グローゼは確かに来てくれた。けれど。
――燃える。すべてが燃える。
 私たちが育った修道院も村も、畑も、森も。
 青い目が、あんなに愛しかった青い目が、炎を湛えて冷たく私を見下ろす。一筋の涙が、彼の右目からこぼれた。
 私は倒れた柱に足を挟まれ、シスター物言わぬ死体に成り下がるのを、声すらあげられずに見ていた。弟たちの悲鳴が遠くに聞こえる。どれも途中でぱたりと途切れ、彼らの身に起こった悲劇を考えるのが恐ろしく、ただただ震えて彼を見上げる。
 黒衣に身をつつみ、血を滴らせた剣を握りしめたグローゼは私に一言だけこう言った。
「許せ、フレール」
 剣が、振り下ろされた。


「――おい、おい兄ちゃん、大丈夫か」
 揺り起こされ、私はハッと体を起こした。
「随分うなされてたぞ」
 酒臭い息が鼻をつく。赤ら顔の男が無遠慮に私の顔を覗き込んでくる。
「あ、ああ……」
 嫌な夢を見た。もう半年も前の夢だ。びっしょりと全身に汗をかいている。
――グローゼは結局、私を殺さなかった。
 剣が振り下ろされたと同時に私は意識を失って、次に目が覚めたとき、私は燃え落ちた修道院の瓦礫の中だった。一緒に焼けなかったのは、神の奇跡か、それとも悪魔の悪戯か。
 私の首筋すぐ横には、刀身に淡い光を湛えた剣が突き立てられていた。グローゼが持っていた剣だった。
「真っ青だぞ、よほど怖い夢でも見たのか」
 悪夢を反芻し額の汗をぬぐった私に、心配そうに男が言う。やけに絡んでくる男だな、と思った。なにか下心でもあるのかと、警戒心が頭をもたげる。掃き溜めのようなこんな路地裏で眠る私に構って、一体なんの利益があるというのか。
 住む場所と家族を失った私は、グローゼの遺した剣だけを頼りに王都までやってきた。剣には星座の紋章が刻まれていた。魔物を狩った英雄をかたどったその星座は、この国の王を守護する騎士団の紋章だ。
 一度だけグローゼから来た手紙には「職が中々見つからない」とあった。その彼がどうして騎士団の剣を。
 手紙の通り、都には失業者や浮浪者であふれかえっていた。私はそれに混じって街をうろついて、日雇いの仕事で食いつなぎ、時には残飯をあさる真似をしながらグローゼを探している。
 どうやらあの悲劇の夜のさらに半年ほど前に、この国の末の王子が弑逆を図り、彼の父である前王と兄三人を殺したらしかった。玉座についた末の王子は今や国王となって独裁政治をおこない、不況は広がる一方だ。とはいえ決して、前の王も名君とは言い難かったようである。民から絞りとった税は、そのほとんどが彼の遊興費に充てられていたらしい。
「お前さん、ここらじゃ見ない顔だな、新入りか。どこから来たんだ」
「……ブルンネン」
 少し迷ってから正直に答えると、男は目を見開いた。
「そりゃあ、大変だったな」
 酒気の混じったため息に、同情をのぞかせた。
 ブルンネンに起きた出来事は、この国に起きた悲劇の一端に過ぎない。同じような出来事があの日各地で起こっていたのだと知ったのは、王都に来てからだ。
 同じように黒衣の男たちが押しかけ、村を焼き払い、皆殺しにしている。
 グローゼを探す内、噂を聞いた。王は臣下に自分と同じように家族を殺させ、試していると。
 彼が望んだ外の世界はこんなに醜かった。グローゼが憎い。大切なものを奪ってしまった彼が。あんなに、愛していたのに。愛し合っていたはずなのに。
 もはや私の望みは一つ。彼が残したこの剣で、彼を斬る。
 あの夜流したように見えた涙は、きっと私の願望だ。彼の本意ではないと思いたかった、私の妄想だ。
 彼に一かけらの人の心が残っていたら、仕事のために人を殺すことなどできるだろうか。
「食うか?」
 木箱に腰かけ、抱えていた紙袋からパンを取り出すと、男はそれを差し出してきた。
「対価がない。払えるものがない」
 警戒を解けない私は、剣を包んだ布を抱きしめて首を横に振る。
「施しはうけねぇってか」
 男は鼻で笑うと、酒の瓶を煽った。
「明日荷運びの仕事がある。手伝え。それが対価だ。釣りは金で払ってやる」
 パンを私に向かって放り投げると、男は口の端からこぼれた酒を手の甲で拭った。
「……そこまでしてもらう義理はないはずだ」
「死んだ息子が兄ちゃんぐらいの歳でね。ただ、それだけだ」
 そう言って男は自らも袋からパンを取り出し、ちぎって食べ始める。
 押し付けられたパンは古く、硬かった。


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書いたの:2015/1/31フリーワンライ企画にて
お題:星座 泣いたことさえ嘘にした
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