あべこべ病

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「嫌いじゃないだろ、素直になれよ」
「す、うう、嫌いです。大嫌い!」
「本当に嫌い?」
「本当に、大嫌いっ!」
 力いっぱいの叫びが人の少ないアイドル帯の食堂に響き、おばちゃん職員たちが驚いた顔でこちらを見てきた。
 高梨先輩はそれに「ダイジョウブダイジョウブ」とひらひら手を降りながら、同時に鳴り響いたスマホのアラームを逆の手で止めた。
「はい、時間切れー」
 私の目の前からコンビニの新作プリンがかっさらわれていく。
「あ、ああ、ああああ……!」
 クリームたっぷりで薄黄色の、カロリーの塊のプリン。そう思うと本当に欲しくなくなってくるけど、嘘、全部嘘。食べたい食べたい。プリン大好きなんです。
「それじゃ遠慮なく、いただきまーす」
「うあああー!」
 かぽんとフタを外し、先輩は豪快にプラスチックのスプーンを突き刺して、大き目な一口分を口に運び、そして満足げな笑顔。
「うまーい」
 対して私は、頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
「どうしてこんな、こんなああ」
 無体を、と思ったけど言葉はほとんど机に吸収された。先輩はニヤニヤ笑いながら二口、三口と、スプーンを進めて、もうプリンはほとんどない。
「素直にならないから」
「好きでこんな風に、……なってるんです!」
「なってるのかよ」
「ううう」
――あべこべ病、と俗に称される病を発症するウイルスが発見されたのは、今世紀最初の話だ。
 と言っても今世紀が始まったのは十年ちょっと前のことだけど。そんなことはともかく、その『あべこべ病ウイルス』(本当はもっと難しい名前がついてる)は十代に広く流行し、第二次反抗期の原因の一つということまでは分かっているものの、研究が進む今もおもてだった特効薬やワクチンもなく、時間をかけて治していくしかない難病だ。
 でも難病といったって、主な症状は「素直になれない」というだけ。
 ええそうです。今私、それにかかってるんです。中でも一番ひどいのにかかってしまったらしい。思ってることは全部反対に言うし、好きなことは全部嫌いになる。
 ああ私のプリン。折角ドケチで食い意地はってる高梨先輩がくれるって言ったのに。食べられなかった……。
「よりにもよってこんな時期に。お前ホントに今年二十歳?」
 食い尽くされて空っぽになったプリンの器を置き、先輩は胡散臭げに私を見た。若く見られてると思っていいのかこれ。
「先月からもうハタチです」
 二十代で疾患するのは珍しい。お医者さんにもそう言われた。ため息までつかれて「あべこべ病は大人になってこじらせると治りにくいよ」とまで言われてしまった。
 そんなの知ってるし、好きでなってるわけじゃないのに、もう二度とあの病院にはいくもんか。
 ホントよりにもよってなんでこんな時期にこんな病気になっちゃったんだろ。
 私たちの大学では二年の後期からゼミに入る。今はその為の試験や面接が行われる期間だ。私の第一希望の新島ゼミの面接は、明日。その前になんとかして病を克服しなくっちゃ。高齢の新島教授は頭が固くて、あべこべ病なんか考慮してくれない。
「プリンフリークのお前がプリンを前にしても素直になれないとなると、もう打つ手がないなぁ」
 先輩が困ったように頭を掻いた。ていうかフリークって。確かに毎日サークル開始前に先輩の前で食べてましたけど。
「プリンへの熱情が足りないんじゃないの熱情が」
「そこは普通情熱じゃないんですか」
「気分」
 言い捨てて先輩は立ち上り、ゴミを捨てに行った。
 戻ってきたその手にはセルフサービスのソフトクリームがある。次はソフトで……? と思っていたら、単に自分が食べたかっただけらしい。プリンを食べたスプーンでむしゃむしゃし始めた。あっくれないんだ。
「先輩はやってないんですか、あべこべ」
 恨みを込めた視線を送りながら尋ねると、ようやく先輩はソフトクリームを食べる手を止めた。白い雫がスプーンから器にぽたりと落ちる。
「やったよ、中二の時。三日で治ったけど」
「三日!? それって、どうやって? あ、いや、参考にはしませんけど」
「一言余計だな。どうやってって、うちのアニキが俺の前にから揚げの山を持ってきて『好きって言わなきゃやらない』って言ったんだよ」
「さっきのプリンと同じじゃないですか」
「だからお前には熱情が足りないって言ったんだ」
 それって先輩の食い意地が人並以上ってだけなんじゃ。
 空きコマの時間つぶしとはいえ対策に付き合ってくれてるので、そこまでは言いませんけどね。
「新島ゼミに入れなかったらどうしよう」
 ほとんどそれが目的でこの大学を選んで、勉強も頑張ってきたっていうのに。ホントどうしてこんなことになっちゃったんだろう。
「うちのゼミくれば? 面接ないよ」
「そもそも学部違うじゃないですかー」
 見当違いな慰めにもほどがある。そろそろ泣きたくなってきた。
「最悪大学行く理由なくなる……」
 ぽつりとつぶやくと、先輩はプラスチックのスプーンをソフトの器に投げ入れて、涙目の私をまっすぐ見つめると、珍しく真面目な顔をした。
「じゃあさあ、大学辞めるほど駄目なら俺がもらってやるよ」
「……へっ」
「嫌?」
 突然のことに頭が真っ白になった。
 だってそんなの、嫌、な、わけない。
「えっとあの、……はい」
「なんてあべこべ病の奴に言っても……え?」
「あっ」
 思わず口を押えて驚く。
 治った、かも。


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書いたの:2015/7/11フリーワンライ企画にて
お題:嫌いじゃないだろ、素直になれよ 熱情 時間切れ
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