白米との親和性

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 大学を終えて夕飯の買い出しをして帰宅し、居間のドアを開けるなり、涙目の姉と目があった。
「ど、どうしたの」
 驚いて尋ねつつ、私は居間のテレビと、床の状態を確認する。テレビはついていないし、床は綺麗で小説も漫画も広げられていない。どうやら視覚的情報で涙腺を刺激されたわけではなさそうだ。
 どうやらずっと窓の前を行ったり来たりしていた姉は、私の問いに一度ぴたりとその動きを留め、「ミヤマちゃん!」と叫ぶなり、私に飛びつく――直前で着地した。
 躓いて転んだわけじゃない。それは美しいほどのジャンピング土下座だった。
「あのね、ごめんね!」
「な、なにが?」
「怒らないでね!」
「なにが?」
「お姉ちゃん必ずお詫びはするから! だからお弁当をネギだけにとかはしないでね!」
「だから何が!? ちゃんと答えないとネギだけにするよ!」
 勢いで言い返したが、我ながらなんて脅しだ。ちなみに買い物袋から飛び出ている小ネギは、お弁当用などではなく、私の明日の朝食の、卵かけごはん用だ。
「あのね」
 のろのろと土下座の状態から起き上り、姉は不安げな顔で私を見た。何がどうなのかさっぱり分からない現時点で、さっぱり分からないこと以外に怒りようがない。
「ミヤマちゃんのブタさんを、壊しちゃったの……」
「はあ」
 何のことやら、と一瞬思ったが、すぐに思い当たる。自室のタンスの上に置いた、陶器で出来たよくあるデザインの豚の貯金箱のことだ。
「わざとじゃないのよ。それであの、お金も飛び散っちゃって、いくら入っていたのか分からないけど、タンスの隙間にも入っちゃったっぽくて……いくら入ってたの? 補填するから!」
「はあ」
 曰く、掃除機を引っ掛けたそうだ。珍しく私より早く帰って、さらに珍しく掃除機をかける気になったらしい。普段は絶対にしないだろう。雪が降る代わりにタンスの上から貯金箱が降ってきたようだ。
 買い物袋をテーブルにおろし、玄関横にある自室に確認すべく、廊下を戻った。
 彼女の言う通り、レトロな顔をした豚の貯金箱は無残にも砕け、部屋の片隅に置いたちりとりの上で、瞳だけの破片が天井を見つめていた。中に入っていた五十円以下の小さい額ばっかりの硬貨は、姉が丁寧に選り分けたらしく机の上にきっちり金額順に並べられている。
 その額八百七十五円。なるべく小銭を使わず、財布に溜まってきたら入れる、をテキトーに繰り返していただけで、正確な金額を把握していなかった。百円以上の硬貨なしで、これが満額だとしても、逆にむしろ思っていたより溜まっていたな、と思う。最近は結構重かったものな。
「たぶん全部あるよ。たとえもしタンスの裏とかにあっても、大掃除の時に出てくるよ」
 壊した貯金箱の残骸が入ったちりとりを片手に居間に戻って、ソファの片隅で膝を抱える姉に言うが、姉はしょんぼりとした顔のまま「もう二度と掃除なんてしない」などと言ってしょげている。いや、それはそれで、困るんだけど。
「ごめんねミヤマちゃん。ブタさん気に入っていたでしょう?」
「いや……そもそもいつかは割るためにあったんだし」
「でも、ミヤマちゃんが割りたかったでしょ」
 口を尖らせて姉は俯く。どれだけ言ったところで貯金箱は直らないのだが、私がそう口にすれば、逆の意味にとらえるだろう。
 確かに一緒に過ごす内に愛着が湧いて、貯金の度に話しかけたりもしていたが、もとはと言えば、姉が買った上に使わないからと断捨離しようとしたものを何気なく救いだしたものだ。捨てようとしたものを拾ったことで、姉の中ではあの貯金箱は、私がたいそうお気に召した故に拾われたのだ、と解釈されているうのだろう。
――ああもう、めんどくさい人だ。
 本音を言いそうになったのを危うく飲み込んで、私は大団円の迎える方法に思案を巡らす。
 姉を一発で笑顔にする方法、とは。
「……今日の夕飯、野菜炒めにするって朝言ったじゃない」
 しょんぼり顔のまま、姉は小さく首をかしげた。
「やっぱり、肉豆腐にしようかなって。こないだの肉じゃがの時の白滝、一パック余ってるし。キャベツはごま油とラー油にあえたのにしよっか」
「えっ」
 唐突な話題転換だというのに、パッと顔が晴れた。ああ本当に、単純な人だ。
 姉は私の献立に表立って文句をつけないが、おかずと白米との親和性を実はかなり重要視している彼女は、私の作る野菜炒めでは白米が美味しく食べれないと(ひとえに私の力不足であるともいえる)、常々不満に思っているのを知っている。キャベツを使い切りたかったから、野菜炒めにしたかったんだけど。
「お米研いで。三合ね」
「うん!」
 ソファから立ち上がった姉に笑いかけると、私は破片を処理するために背中を向けた。


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書いたの:2014/10/10 フリーワンライ企画にて
お題:大団円の迎え方 壊した貯金箱
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