彼女の世界は壊れた時計

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 片耳だけ挿したイヤホンから、ラジオの天気予報が流れてくる。今日は日中晴れ、深夜から天気が崩れて、明日は一日雨らしい。
「もっと早くに調べていれば、洗濯物を外に干してきたのにな」
 朝はバタバタしていたから、それどころじゃなかった。今からでも遅くないんじゃないかと、がらんとした店内を見回して思ったが、さすがにそれはと頭を振る。
 いくらアイドル帯とはいえ、カフェが急に開いたり閉まったりしてはよろしくない。思い立ってふらりと立ち寄るお客さんがないとはいえない。……あんまりないが。
 気合を入れなおし、先月メジャーデビューしたばかりのろくろっ首のバンドグループ、『ろくロック』の新曲を流し始めたラジオ止めた丁度その時、ドアベルがちりんちりんと音を立て、俺はそれを合図に顔を上げた。
「やっとついた……!」
 まだ午前中だというのにぼさぼさの髪に疲れ切った顔で店に入ってきて、いきなりそう言ったミティカは、数年ぶりの再会にしてはずいぶんな有様だった。
「いらっしゃい。ええと、何回目?」
 暇すぎてすでにピカピカ光るカウンターをさらに磨きあげていたのを片づけつつ、俺は久々の文句を口にする。「いらっしゃい」の方じゃない。「何回目」の方だ。いらっしゃいませなら開店直後にテイクアウトでコーヒーを買っていった常連の企業戦士に言ったので今日初めてではない。
「あなたに会うのは今日まだ一回目。……相変わらず時間が止まってるみたいな店ね、ここ」
「失礼な。昼は空いてるけど、うちのピークは夕方なんだよ」
「褒めてるのよ」
 白々しい嘘をつきながら、ミティカは鏡のようにピカピカしているカウンター席に腰かけた。
「注文は? コーヒー?」
「あー、ブラッティラテ。冷たいヤツ」
 出したおしぼりで顔を拭いた彼女に、思わず苦笑した。嗚呼、三年会わないうちにおっさん化してしまって……。
 うちの店で一番人気のA型の血液と牛乳を混ぜたブラッティラテを淹れ、椅子の上で伸びている彼女の前に置いた。手前味噌ではあるが、今回は一段と赤と白のグラデーションが美しく出来たと思う。
「どうぞ」
「これこれ。やっと正解……」
 グラスを受け取ってミティカは深いため息をつく。美味しそうに一口飲んでぺろりと唇を舐めた。
「毎回大変だな」
「慣れたら退屈しないで楽しいもんよ、試行錯誤の毎日ってのは」
 ミティカは俺たちの時間軸とは違った世界を生きている。
 曰く、正解を選ばないと時間が進まない病、に冒されているらしい。
 毎日、一秒一秒無限にある選択肢の中から正しい『彼女が過ごすべき一日』を選ばなければ、たちまち時間が巻き戻って、最悪朝から一日をやり直す、そんな日々を過ごしている。
 正解を決めているのが誰なのか、俺はもちろん、ミティカ本人だって知らない。
「神様ってやつかもね」
 無神論者の妖怪のくせに、ミティカはいつもそう答える。
 彼女がこんな生活を送るようになったのは俺たちが顔を合わせなくなった三年前、つまりは後天的なものだ。重たい荷物を持ち上げてぎっくり腰になった瞬間にそうなった、と人づてに聞かされた時は、職業柄一人で重たい物を運ぶことが多い俺は心の底から気を付けようと思ったものだ。以来、重たい物を運ぶ時にはきちんとしゃがんでから持ち上げている。
 話がそれた。
「ここまで来るのに九回やり直してるけど、今日は楽な方よ。二桁からは数えないようにしてるもの」
 ここに来るまでに起きた不正解ルートの話を嬉々として話してくれるが、聞いているこっちがどうにかなりそうな試行錯誤だ。黒猫を撫でて一度引っかかれないと先に進めないとか、白線の上だけ歩かないといけないとか、巻き戻りの条件が厳しすぎる。そりゃあぼさぼさの髪に疲れた顔にもなるわけだ。
「慣れよ慣れ。どうにも行かなくなったら一度全部諦めて寝ちゃうのもアリね。時間は進まなくても気持ちはすっきりするもの」
 開き直った口調でミティカはストローでぐるぐるラテをかき回し、カラン、とグラスの氷が音を立てた。
「そういえば、店の移転問題は結局なくなったわけ?」
 馴染み客へのサービスで出しているクッキーに手を伸ばしながら尋ねられた言葉に、思わず俺は首をかしげた。
「移転問題?」
「大家さんと家賃で揉めたって言ってたでしょ」
「俺その話いつした?」
 そもそも三年会ってないのだから、先月起きたイザコザを伝えているわけがない。
 するとミティカは頬を掻いて笑った。
「あーうん、覚えてないだろうけど、先月した」
「先月って?」
「不正解だったから、直後巻き戻ってなかったことになってるだろうけど、まあ聞いたんだよ」
 付け足されたそれに、思わず言葉を見失う。散々言っておいてこれだ。彼女は違う時間軸に居るんだ。今の俺じゃない俺と交わした会話の記憶がある。
「ごめん」
「いや、こっちこそごめん」
「ちなみに問題は解決しましたので、ご心配おかけました」
「結局なんだったの?」
「振り込み先変えたの自分で忘れてたそうだ」
「なにそれー」
 ミティカはケラケラ笑っているけれど、こちらは笑いごとじゃない。振り込んだはずの家賃、それも三か月分を、払っていないから出ていってくれなどと突然に言われて、何がなんだか分からず詐欺か警察か、それよりも引っ越しかと途方に暮れていたのに結局この顛末。大家のじいさんは痴呆が始まったのかもと別の問題まで浮上した。その件はお孫さんに相談してお任せしたから、俺にはもう関係ないけど。
 いややっぱり笑いごとかな、これ。
「ミティカの方は最近どうなんだ? ……もしかしてもう何度も聞いてるかもしれないけど」
「いーよ別に何度でも話すよ。と言っても代わり映えのない日々よ。そうそう、こないだためしに死んだ話が毎回受けてるからするね」
「ためしに死ぬなよ! ホントに死んだらどうするんだ!」
 というかそんな話毎回するなよ。
「大丈夫大丈夫、案の定朝まで巻き戻ったから。私死ねないのかなぁ、それとも死ぬタイミングがちゃんとあるのかな」
 不安を口にしているんだろうが、含み笑いのミティカの言い方はずいぶん軽かった。毎回しているというだけあって、言いなれてるんだろうか。
 別にこの世界で、後天的先天的問わず、不老不死は別に珍しくない。死のうと思えば死ねるというタイプの不死も多い。俺は幸か不幸かどれにも当てはまらないけれど。
 俺が見た限りでは三年分の年月はミティカの体にしっかり刻まれているようだから、残念なことに不老ではないんだろう。不老じゃない不死はかなり少数派だが、いるにはいるらしい。
「長生きも……悪くないと思うぞ。少なくとも今死ぬよりずっといい」
 言いながら、これまでの俺の知らない時間の俺とミティカの会話はどうだったんだろうと思った。毎回同じことを言ってるんだろうか。
「そう?」
 意外そうな顔一つせず、にんまり笑ったあたり多分そうなんだろう。でもミティカはどこか満足そうにストローでグラスをかき回す。
「まー、こないだって言っても二年半くらい前の話なんだけどね。流石にこの生活半年やってるとノイローゼっぽくなっちゃっ――あ」
 天井を見上げ、ミティカは話を中断して眉を顰めた。
「何?」
 その視線を追いかけるが、俺には何がなんだか分からない。
「どうもこの話をあなたにすると不正解ルートに直行するっぽいのよね、何故か。十回やって十回駄目だったからもうしないわ」
 でもついしちゃうのよね、とため息交じりに言われた途端、ぐにゃりと世界がゆがんだ。
 これが世界の巻き戻りなのか?
「三回ぐらいでやめたらいいのに」
 足元が不安定になり、頭がぐらぐらするのを感じながら、俺はやっとのことでそれだけ言った。ミティカは平気な顔で小さく舌を出す。
「だってあなたちゃんと心配してくれるんだもの、嬉しくって。まあでも次は違う話するね。えーっと、ブラッディラテまでは正解だったからー」
 指折り今日一日の行動を再確認しているミティカの姿がかすんでいく。いや、かすんでいくのは世界……?
「なあ、この三年間十回も俺と会ってたのか?」
「んー、数えてないけどそれ以上かな。試行錯誤に疲れて辛くなるとつい会いたくなっちゃう。って言うとまたリセットされちゃうんだけど」
 名残惜しむようにミティカはラテを飲み干して立ち上がる。
「……じゃあ、またあとでね」
 完全に視界はぼやけて見えなくなり、俺の意識はそこで途切れた。


 片耳だけ挿したイヤホンから、ラジオの天気予報が流れてくる。今日は日中晴れ、深夜から天気が崩れて、明日は一日雨らしい。
「もっと早くに調べていれば、洗濯物を外に干してきたのにな」


書いたの:2015/9(Text-Revolutions アンソロジー「再会」参加作) TOP


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