雨上がり

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 もう降りやまないんじゃないかっ思えるほど、二か月以上も降り続いた雨はあたしの誕生日の翌日、何事もなかったかのようにぴたりとやんだ。
 この町だけでも三ケタを突破するのでは、と言われていた行方不明者は、その日を境にぞろぞろと帰って来て、最終的に行方不明者は一人だけになった。
 畑の様子を見に行く、なんてベタな死亡フラグを立てて出ていって、一か月も帰ってこなかったじいちゃんは、雨があがった翌日に、気まずそうな顔で帰って来た。気が付いたら下流の村にいたらしい。擦り傷ぐらいの怪我でピンピンしていて、普段は喧嘩ばっかりのばあちゃんが泣きながら駆け寄ってたのが、印象深い。
 とはいえ喜んでばっかりも居られない。長い雨で畑は壊滅状態だし、うちは近隣で唯一床上浸水までしてしまった。家の建て方が悪かったんだとまたじいちゃんばあちゃんが喧嘩してたけど、そんな場合じゃない。
 あたしの部屋は二階だから被害はほとんどなかったけど、父さん母さんの部屋と仏間の畳は全滅で、仏壇だって泥だらけ。数日掃除と後片付けに追われた。
 本当ならとっくに夏休みに入っているはずの学校に行ったのは、雨があけて一週間したころだ。
「夏休み返上で補講かあ、マジ最悪」
「しゃーないじゃん、一か月以上学校なかったんだし」
「でもどこにも行けなかったじゃん! その上FAXで課題が送られてきてるしさぁ、てか、いまどきFAXって!」
「回覧板がFAXでくる町なんだからしゃーない」
 登校途中に一か月半ぶりに会った春恵は、日に当たってなかったはずなのに相変わらず真っ黒で、しゃーないしゃーないとあたしの愚痴を肩をすくめて聞き流す。
「これじゃ夏の思い出なんもないじゃん」
「梅雨入り前に肝試ししたじゃん、水地神社でさ」
「あれだけじゃさあー……あ、じゃあ、帰りカラオケでもいこーよ。あそぼ」
「あ、ごめんパス」
 気を取り直して掲げた提案を、春恵は真顔で手をひらりと振って拒否した。
「えっなんで」
「バイトの面接あるんだよね。ほらうちも畑今年はもう駄目そうだからさ、出稼ぎしないと大学いけないかもしんないし」
 あんたんち大丈夫? そう尋ねられて視線を逸らした。国からある程度補償されるとはいえ、本当にある程度だ。
 家の中の片づけで手一杯で、畑の土砂の除去とか、全然終わってないのは知ってる。
 重くのしかかる現実にあたしがため息をついた時、爽やかな風が吹いてくるような錯覚を覚えた。
「あっ、葵野くん」
 久々の遭遇に、思わず頬がほころぶ。
 一か月ぶりに見た彼は、いつも通り清潔そうなパリっとノリの効いたワイシャツを来て、後ろ姿だけで爽やかさが滲み出ているけれど、今日はなんだか覇気がない。
「どうしたんだろ」
「あんた知らないの? 行方不明になってる最後の一人、葵野の姉ちゃんらしいよ」
「えっ葵野くんにお姉さんいたの?」
「いるんだって。まあ一緒に住んでなかったみたいだけど」
 家庭のジジョーってやつ。訳知り顔で春恵が続けた。ニュースやラジオで繰り返し読み上げられた名字は葵野ではなかった気がする。タチハラアマネ、そんな名前だった。
「そっとしておいてやんなよ」
「そういうわけにいかないじゃない!」
 ここぞとばかりにあたしはかけだして、葵野くんにおはようと声をかけた。
 彼は少し驚いた顔をしたけれど、すぐにやさしく微笑んでくれた。でも少しやせたんじゃないかな。分かるよ、うちもじいちゃんが居なくなってからご飯どころじゃなかったから。まあ浸水してたからなんだけど。
 お姉さんのことには触れずに一か月半のことを尋ねると、葵野くんは笑いながらも少し俯いた。
「うちはそんなに被害なかったよ」
「そっか、それはよかった」
 知らないふりをされたので、あたしもそう答えるしかなかった。
 悩みを相談されないのはつらいな。まあ、あたしじゃ力になれないのかもしれないけど。
「そうだ、もう大分前になっちゃったけど、肝試しさせてくれてありがとう。次は男子たちもやろうよ」
 梅雨入り前に女子グループで行った肝試しの話を振ると、葵野くんは忘れてしまったのかきょとんと首をかしげた。
「ほら、水地神社で」
 その神社は、葵野くんのおじいちゃんが管理している神社だった。すぐそばに葵野くんも住んでいたから、もしかすると覗きにきてくれるんじゃあないかと期待していたけど、全くそんなことはなかった。まあ女子ばっかりで男子が顔だすわけにも中々いかないんだろうけど。
「ああ、そんなこと言ってたっけ。うちで肝試しになんかなった?」
 本当に思い出したのか怪しい響きで、葵野くんは頷いた。
「うん奇数だったから最後あたし一人で行かされてさぁ。怖かったよ。ちゃんと石もって帰って来たよ。記念に部屋に飾ったもん」
 葵野くんが立ち止まる。
「石?」
「うん、こんくらいの。なんか神社にあるもの取ってこいっていうから。他のみんなは鏡とか持ってきちゃったから、慌てて返したけど」
 手で拳大の大きさを表現すると、葵野くんはさっと顔を青ざめさせて、両手で顔を覆ってしまった。
「葵野くん?」
 様子が変わったのを見てあたしは不思議に思って振り返る。肩を震わせて、聞こえてきたのは笑い声だった。
「こんな、こんなものどものために……ハニーは」
 雨はもうあがったはずなのに、呻くような葵野くんの声をかき消すように、どこか遠くでゴロゴロと雷の音が聞こえた。


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書いたの:2015/5/20
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