押入れの中からこんにちは

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――こんにちは。あなたに取り憑いてもいいですか?


 四月
「と、言うわけでこれからよろしくお願いします」
「いやいやいや、だから何が『と、言うわけ』なんだよ」
 がらんとした何も無い部屋に、二対の睨みあう眼。
「駄目です?」
 何も無いのは、この部屋がつい数分前、俺という使い手を得たばかりだからだ。
 俺の名前は池野 幸四郎。ここには引っ越してきたばかりだ。
「当たり前だろ」
 溜息をついて、俺は目の前の少女を見やる。
 あまり洗濯してなさそうなぼろぼろの着物を纏い、髪は日本人形のように顎の高さで切りそろえられている。前髪を頭のてっぺんで結んでいて、彼女が頭を動かすたびに横へ前へと揺れた。赤いビー玉のようなものがついた髪ゴムが開けっ放しの窓から入る日光に反射して、きらりと輝きを放った。
「貧乏神です。って言われちゃ誰だって駄目って言うだろ」
「お願いします! こっちも生活かかってるんですよ!」
 引越しの手続きを終えて、部屋に入った俺を彼女が出迎えた。
 いきなり『貧乏神です! 取り憑かせてください!』と言い、話し合いが今に至る。
「他をあたれ」
「これで四十件目です」
 そんなに居るのか……。
「炊事洗濯掃除! 家事一通りできませんけど!」
「尚更駄目だろ!」
 自称・貧乏神は睨むように俺を見据えると、いきなり畳に頭をすりつけた。
「お願いします! 取り憑かせて下さい!」
「だから嫌だっつの! そもそもお前が本当に貧乏神って証拠があんのかよ?」
「疑うんですか!?」
「たりまえだ」
 俺の返答に彼女はむぅっと頬を膨らませたかと思うとおもむろに立ち上がり、この部屋唯一の備え付けの収納である、押入れの前に立った。
「だったら私が貧乏神だっていう証拠を見せます! 面白かったら取り憑かせて下さいね!」
 何か論点がずれている気がする。別に面白くないから取り憑かせたくない訳ではないのだが。
「貧乏神流押入れ召喚術! いでよ!!」
 ずがらっ
「猫娘っ!!」
『みゃ……』
「ぎゃあああああっ!」
 ぴしゃん。
「何するんですか!」
 勢いよく立ち上がって押入れを閉めた俺を、貧乏神が怒ったように見上げる。
「あんなもんリアルで見せられてみろ! 怖い以外のなにもんでもねぇだろっ!」
「可愛いじゃないですか! 猫耳ですよ!」
「そういう問題か! 瞳孔開いとったぞ!」
 当初の問題とずれた会話を繰り広げている事に気付いて、俺はすとんとまた座った。
「ていうか、なんで押入れ……」
「知らないんですか? ここの押入れはいろんな世界につながってるんですよ? ラッキーですね、この部屋借りれて」
 押入れ使えねぇじゃねぇか。
「んじゃあ次普通なのいきます! いでよ! 一反も……」
「やめんかいっ! つかどこが普通だ!?」
 僅かに薄汚れた白い布のような何かが見えかけた押入れを、勢いよく再び閉めた。
「分かったから、疑わねぇよ。お前は、貧乏神です」
 俺が認めると、満足そうに貧乏神は頷いた。
「じゃあ、取り憑かせてくれるんですね!」
「それとこれとは話が別だ」
「ええー」
 駄々っ子みたいにそう言うと、ポケットから着物と同じように汚れたハンカチを出して、目に当てた。
「お願いします。私には妻とまだ幼い五人の子供が……」
「ダウト。てかお前子供だし女の子だろ」
 俺の言葉に、考え込むように一瞬言葉が止まる。
「えーと、病気の……」
「ダウト。すでに『えーと』って言った時点で嘘じゃねぇか」
 言い終わる前に放たれた俺の言葉に、貧乏神はキッとこちらを睨んだ。
「じゃあどうしろって言うんですか! 我侭ですよ!」
「他をあたれっつの! 我侭はどっちだ!」
 すると今度、貧乏神はしゅん、とうなだれた。
「四十件以内に取り憑く人を見つけないと、卒業できないんです」
「卒業?」
「貧乏神養成学校に」
 あるんか、そんなもん。
「お願いします! 神助けだと思って!」
「神助けで貧乏になれるほど俺は人間ができちゃいねぇよ」
「……わかりました」
 今度こそ泣きそうな声で、貧乏神は俯いた。
 ちょっと、言い過ぎたかな。
「最後の手段です」
 まだあるんかい。
「――――」
 俺の耳元に唇をよせるなり、そっと何かをささやいた。
「……」
 こうして、貧乏神は俺の部屋に取り憑くことになった。


「やったぁっ! よろしくお願いしますね! えーっと、池野 幸四郎さん!」
 すすけたようなピンク色のポシェットの中から、旧型の大きな電子手帳の様な物を取り出して、貧乏神は嬉しそうに言った。
「……ああ」
 ぐったりとして、俺は答えた。疲れた。
「いつまで?」
「なにがです?」
 突然湧き上がった疑問に、少女はきょとんとして聞いた。
「いつまで、憑いてるんだ?」
「あなたの貧乏指数が上がれば、単位がとれます」
 そうしたら卒業です、と彼女は答えた。
――すぐにそれが来て欲しいけど、遠い話でもあって欲しい。
「失礼かもしれませんが、あなたについては調べさせてもらいました。池野 幸四郎――呼びにくいから幸ちゃんでいいです? え、駄目? 分かりました、また後で考えます――十七歳。学力は中の中で運動神経もそこそこ。なんかてきとうなキャラ設定ですねぇ」
 ほっとけ。そもそも短編でそこまで綿密なキャラ設定ができるか。
「両親は離婚、両方から引き取りを拒否された、ってありますけ……」
 ぴろりろりん
 つい一昔前に流行った育成携帯ゲームのような音が電子手帳から鳴り響く。貧乏神はそれをちらりと見て、
「貧乏指数があがりました」
「どういう基準だよ」
 貧乏なのは、確かだけどさ。
 俺は溜息をついて、とりあえず二、三日分の着替え等が入っている鞄を手繰り寄せた。携帯も出して、とりあえずどちらかの親に連絡しないと。
――もちろん、貧乏神の件は伏せて。
「……おい」
「あい?」
 窓を開けて換気をしだした貧乏神に、声をかける。
「名前は?」
 ほら、貧乏神だなんて呼びにくいし呼びたくないし。
「名前、って呼び名の事ですか? 今まで番号で呼ばれてたんですけど」
「番号?」
「確か、貧乏神369234521259027474……」
 この後しばらく、数字が続く。
「……933421258223482123です。憶えました?」
「憶えられるか!」
 ていうか呼びにくいし。仲間内で呼び合うのに少なくとも五分はかかるぞ、おい。
「もういい」
 俺は会話を打ち切って、携帯ボタンを押し始めた。

 ***         ***

 六月
 異変が起こったのは、梅雨入りしはじめて空気がじめじめし始めた頃だった。
「――どした、貧」
 結局呼び名は「貧」で決定した。乏になるか最後の最後まで二人でもめたが、「ボウ」が少し前の中国風味漫画の主人公のあだ名みたく聞えるので結局やめた。
――話を戻そう。
 その貧が、廊下の端にあるこの部屋の唯一のお隣さんが存在する側の壁を不思議そうに睨んで、恐る恐る壁に手を伸ばそうとしている。
 ぴろりろりん
「何か、この壁おかしくありませんか?」
 この部屋で一番おかしな奴が、何をぬかすか。
「ずっと前から、こうでした?」
 貧はゆっくりと手を伸ばして、指先が壁にふれたところでびくりと震え、慌てて手を彼女は引っ込めた。
 ぴろりろりん
「おかしい?」
 俺も隣に座って――気づいた。
 ぴろりろりん
「この音うぜぇ」
「あ、すみません。マナーモード機能ないんですよ。旧型だから」
 そういう問題なんだろうか。一体今俺の貧乏指数はいくらなんだろう……。(最近やけにこの音が耳に付く。
「んで、どこがおかしいんだよ」
 じぃっと壁を睨んで、恐る恐る手を伸ばしてみる。
 へにゃ――
「……」
 ぴろりろりん
 いや、壁ってこんなに柔らかいものだっただろうか……?
 俺の額を冷たい汗が流れた。所々、黒いカビが生えて、今にもキノコがニョキニョキ言いながら生えてきそうだ。
 ぴろりろりん
 くそう、この変な音が邪魔してまともな思考が出来ないぞ。
「俺の隣の部屋って……?」


 部屋のドアはどこも同じだ。
 俺は、俺の部屋の隣、302号室の前に立つ。
 表札の名前は、蛙田。「かえるだ」か? それとも「かわずだ」?
 どっちにしろ、変わった名前だ。
「とりあえず、俺の部屋の壁の原因はここだろ。多分」
 よし、文句を言ってやる。
 そう思いながらも、俺はどきどきしながら震える指でチャイムを押した。
 ヴー、と俺の部屋のそれと同じ音。
「はい」
 がちゃりと、ドアが開いた。
 垣間見えたのは、緑色。そして……ぬるぬる?
「……」
 未知との遭遇。脳内で一瞬だけその音楽が流れた。
「ぎゃあああああああっ!」
 悲鳴が、廊下に木霊した。

 ***           ***

 七月
「幸四郎さん、この壁、普通に戻りませんねー」
 ぺたぺたと小さな手のひらで壁を叩きながら、不安そうに貧が呟く。
「おう……」
 何か過去に封印してきたトラウマでも思い出しそうになって、俺は心なしげんなりと応えた。
「どうしたんですか?」
「別に」
 季節は夏。とりあえず梅雨も去って、今は暑い。今年は特に猛暑だ。
「あっぢー」
 扇風機、安売りしてないだろうか。貧は暑さを感じないから平気だけど、俺は辛い。
 ぼんやりとそんな事を考えていると、例の押入れの中からがたん、と考えるだけでまたトラウマが増えそうな不思議な音がした。
「……何か、来たっぽいぞ」
 俺は開けたくないぞ、を視線で貧に訴えかける。
「何でしょう? 今日は日曜日だから何か届く日ではないと思うんだけどな」
 分厚い電子手帳をチラ見して、首を軽くかしげて押入れに手をかける――前に、それは自動的に開いた。
「よっ……と」
 思わず身構えたが、出てきたのはいたって普通の少年。小学校三、四年ぐらいだろうか?
 少年はきょろきょろと部屋を見回して、「ん?」と眉を寄せた。
「ちょっとそこの兄ちゃん、ここって貴婦人荘であってる?」
「そうですけど。どちら様ですか?」
 おどおどしている俺と違って、貧がおずおずと聞いた。
「あれ? お前貧乏神?」
 貧が頷くよりも先に、少年は不機嫌そうに口を開いた。
「悪いけどあんま近寄るなよな。俺、お前らみたいなのと近くに居ると価値下がるんだよね。死神とか、そっち系も駄目だし。ほら、俺って結構最近レアだしさ、一応憑かれると幸せになるんだよね。そこらへんでうろちょろしてる貧乏神とは違うの。分かったら、退け」
 聞いてもいないことをぺらぺら喋りながら、少年は押入れから出た。貧はそれに圧倒されて、二の句が継げられない。とりあえず、人間ではなさそうだ。ついでに言うと、生意気だ。
「ここ、何号室?」
「さ、301?」
 一緒に、押入れからサッカーボールが転がり出る。そして、ぴしゃりと少年は押入れを閉めた。
「あの部屋は一階……か。また後で来るから、じゃ」
 ぽん、と少年がサッカーボールを投げた。くるくるとそれは回転して、畳へと落ちる。
「!?」
 その瞬間には、少年は跡形もなく消えていた。ボールも、消えていた。
「何だったんだ、あれ」
「さあ……?」
 取り敢えず、おどろおどろしい化け物の類でなくて良かった。
 でもまた来るって、言ってなかったか?
「あーっ!」
 貧が叫んだ。ふるふると、電子手帳を持つ手が震えている。
「貧乏指数が下がってるーっ!」
 なんだそんな事か。俺はちょっと安堵してみる。ふと視界の端、箪笥と壁の隙間にきらりと光るものを発見。
 三十センチ定規を机から引っ張り出して、取ってみる。
「お、五百円玉」
 きらりと輝くそれ。気づかないうちに落としていたのだろう。ラッキーだ。
 貧乏指数が下がってヘコんでる貧はへにゃってない壁にずるずるもたれかかって、電子手帳をいじっている。
「折角幸四郎さんが留守の時に電気代の無駄遣いをしたりしてるのに水の泡ですー」
「ってオイコラ」
 どうりで電気代が嵩むと思ったら。
 貧は俺の睨みをまったく無視して、深い深い溜息をついた。


 その日の夜まで、何事も無く一日は進んだ。
「おやすみなさい」
 ずりずりと内側から押入れが閉まって、貧はその中へと消えた。
 あんなところで寝て蒸し暑くないんだろうか……?
 俺も布団を敷いて、ぱちんと電気の紐を引っ張った。
 開け放たれた窓からは心地よい夜風が。緩やかな眠りへと誘われて、俺は瞼を閉じた――が。
 どす 
「あだっ」
「っぐぁ」
 無防備な体に突如何か重い物が圧し掛かり、肺に溜まっていた息が全て吐き出された。
「な、なん……っ」
 とん、とん、とん、と何かが隣で跳ねる音がしたかと思うと、電気をつけるぱちんという音。突然のまぶしさに眼を細めた。
「あ、悪ぃ」
 見下ろすように俺の上に立っていたのは昼間の少年――いや、今の気分ではクソガキと呼んでやりたい。
「真っ暗だったもんだから着地地点間違っちまった。普段ならこんなことはねぇんだけ……」
「言い訳はいいからどけっ!」
「はいはい」
 俺の声に押入れの中の貧も目が覚めたのか、ずりずりと重たそうに押入れが開いた。
「どうしたん……げっ」
 例のガキを見た途端、貧は思い切り嫌そうな表情を浮かべた。どうやら昼間貧乏指数とやらが下がった事でも思い出したらしい。
「よう貧乏神」
 片手を上げて挨拶した彼に、貧は押入れの戸に半分身を隠したまま眉根を寄せた。
「こんな夜中に来るなんて、メーワクですよ」
「仕方ねぇだろ管理人に晩飯馳走になってたんだから」
 管理人さんといえば、人のよさそうな老婦人だ。
「あなた、何者なんですか」
 猫なら毛を逆立てていそうなほどの勢いで、貧が睨む。
「俺? 言ってなかったっけ、座敷童子(ざしきわらし)だよ」
 殺気をまるきり感じないかのように、彼はさらりと答えた。
――って、座敷童子?
「あんたら俺に会ったんだからしばらく幸せになれるぜ? 俺の仲間は最近減ってるからね」
「座敷童子なら憑いてる家から離れないでください!」
 今にも噛み付きそうに貧が言った。いつの間にか押入れから出てきて、俺の背中の後ろに立っていた。
「んだよ、座敷童子だって息抜きくらい必要なんだよ、文句あっか?」
「貴方がここにいると貧乏指数が下がるんです!」
 その言葉に一瞬座敷童子はきょとんとして、ややあってそれが意味することを理解したらしく、にひゃりと笑ってみせた。
「んなこと気にするってことは、アンタまだ見習いか」
 だから何です、と冷たい貧の言葉。
「兄ちゃん、ちょっとちょっと」
 口元を吊り上げた座敷童子は、俺をちょいちょい、と手招きした。恐る恐る近寄ると、ぐいと肩に手を回された。
「アンタ頭おかしいんじゃねぇの? 貧乏神取り付かせるなんて」
「成り行きで……」
 って俺、座敷童子に何話してんだろう。
 取り合えず事態を成り行きに任せて話すと、座敷童子はうんうんと頷いて、ポケットから何かを取り出して俺の手に乗せた。
「――って何これ?」
 一昔前のCDよりも、さらに小さなディスク。
「お守り」
 にひゃりと笑ったまま、座敷童子は押入れに手をかけた。
「専門の機器がないと再生できないけど、持ってるだけでそれなりの機能を果たせると思うから持ってな。んじゃ、また遊びにくる」
「もう来ないで下さい!」
 貧の言葉が半分も言い終わらないうちに、笑みを貼り付けたまま座敷童子はぴしゃりと押入れを閉めた。


 とん、とん、とん。サッカーボールが畳の上を跳ねる。
「ただいま」
「恭平! 遅かったじゃない! 今何時だと思ってんの!? アンタ一体配達だけでどれだけ時間っ……心配したじゃない!!」
 帰ってきたと思った瞬間、これだからな。座敷童子こと、恭平は思わず苦笑いした。
「何よ、いきなり笑い出して。気持ち悪いわよ」
「いんや、別に。それよか風呂沸いてる? 俺疲れた」
 桃色の着物の女、良は腰に両手を当てたまま、まだ怒り足りないような表情を浮かべつつ、口を開いた。
「若旦那が今入ってます。それより恭平、今まで何やってたのよ?」
 恭平は部屋の大半を占めている黒い大きな機械を撫でながら、ふぃっと口元を歪めた。
「新人貧乏神いびり」
「?」

 ***          ***

 十月
「幸四郎さん、秋といえば、何ですか?」
 唐突に、貧が口を開いた。
「なんだよいきなり」
「いいから質問に答えてください」
 俺は壁にもたれて(もちろんへにゃって無い方に)雑誌を読んでいる最中だったのだが、ぱたんとそれを閉じて、すぐさま答えた。
「読書の秋、とかか? スポーツの秋とか、あとは食欲か?」
 手にしていた雑誌〈一人暮らしをどんどん楽しめ!!{{!?後空白}}〉を見やる。
「そうです! 秋といえば――」
 瞳をきらきら輝かせながら貧は自分の背中の後ろに隠していたらしいざるをどん、と俺の前においた。
「キノコですよね!」
 山盛りにその上に盛られているのは、奇妙な白いキノコ。少なくとも、俺の知っている種類ではない。
――なーんか、ヤな予感。
「……一応聞くが、どっから持ってきた?」
 にんまりと、貧乏神は笑った。
「なに言ってんですか、そこに生えてるじゃないですか」
 指さしたのは、例の壁。びっしり、とは流石に言わないが(それなら俺でも気づく)天井から柱から何から、縁取るようにキノコが生えている。
「……っておいおいおいおいおい! 何だこれ!? つかやっぱりキノコ生えてきたし! ていうかたぶん食べれないだろこれ! なに収穫してんだよ!? つかそれ以前に気づけよ俺も!!」
 ほとんど一息でながいツッコミを言い切ると、息切れしつつ俺は再び貧のざるを見やった。かなり大量にある。
「今晩はキノコなべですね」
「んなもん喰ったら死ぬ!! 兎に角、掃除だ掃除!」
 立ち上がり窓を開ける。ううぅ、秋風が冷たい。
「え〜勿体無い」
「うるさい! お前いつから勿体無いお化けになったんだよ!?」
 台所に何故か常備してあるカビ○○ーを片手に、マスクを装備する。
「それ、ふぁいやー!」
「ちょっと待ったああっ!」
 人差し指に力を込めた瞬間、マイクを通したような声が聞こえた。嫌な予感。恐る恐る、声のした方――押入れを見る。
 ずがらっ
「やいそこの悪党! お前の行為はお天と様が許しても、このキノコの精霊様と」
「勿体無いお化けが許さねぇゼっ!」
 しゅっ、しゅっ、しゅっ、
 スプレーが小気味よい音を発する。
「あーっ! 勿体無いですよー」
「喧しい。つーか、キノコにカビ○○ーって効くのか? 素手で取っちまうか。貧、ゴム手取ってくれ」
「ゴム手袋してからカビ○○ーしてくださいよ。手、荒れちゃいますよ」
『って無視して作業続行かよ!?』
 ダブルで三村風の突っ込みをされて、俺は渋々再び押入れを見やった。
 押入れの二段目に身を乗り出すように座っていたのは、貧よりもぼろぼろでつぎはぎだらけの着物をきた中学生くらいの男の子と、帽子(キノコっぽい)をかぶった貧と同じくらいの男の子。
「んで?」
「んで?{{!?後空白}}、じゃねぇよ! 何やってんだよ」
 帽子の少年(多分こっちがキノコの精だろう)、が睨む。
「キノコ駆除だ。文句あるか?」
 最近、この手の来訪者に慣れてきた気がする……。
「キノコだって生きてんだ!」
「普通の人間がキノコの生える部屋で暮らしたいと思うか! 俺だって生きてんだ!」
「お前よかキノコだ!」
 俺とキノコの精が言い争いを始めて居る間に、勿体無いお化けが本格的に押入れから出てきてカビ○○ーのかかっていない部分のキノコを『勿体無い勿体無い』と呟きながら採取しはじめていた。貧は彼と知り合いらしく、仲よさげに会話をしながら手伝いをしている。
「つーか、俺は自分の部屋の壁養分にしてるキノコ食わなきゃならいほど切羽詰まってねぇし」
「お前、少しはキノコの事を考えろ!」
「どうして欲しいんだよ!」
 一方そのころ、俺たちの背後でキノコは勿体無いお化けと貧の手によって着々と袋詰めされていた。
「放っといたって害は無いはずだ!」
 勿体無いお化けが取り出した五つ目のスーパーの袋がきつく結ばれる。今度はカビ○○ーをかけられたキノコに手を伸ばした。
「気持ち悪ぃじゃねぇか!」
 カビ○○ーをかけられたそれらは、六つ目の袋に入れられて、袋に黒マジックで×印を書かれた。
「キノコに向かって気持ち悪いとは何だ!?」
 ぎゅむ、とぱんぱんの袋の口が縛られた。
「これで終わりっと」
「綺麗になりましたねー」
「へ?」
 二人の言葉に俺たちは壁を見やる。
「って、ぅオイ、勿体無いお化け! 何こいつの片付け代わりにやってんだよ!?」
「え、てか俺このキノコが捨てられるのが勿体無いと思ったから来ただけだし。食べないのも勿体無いし」
 大量の袋の山を抱え、押入れへと戻る。
「裏切りやがったな!」
「裏切るもなにも、俺は……」
 今だ!
 俺は勢いよく押入れを閉めた。ぴしゃんっ。
 突然訪れるしばしの沈黙。五分後、恐る恐る開けてみる。
「居ない……」
 俺はキノコの無くなった壁(それでも相変わらず水分を含みまくってるが)と交互に見て、安堵の溜息を漏らした。
「……」
 ヴー
「あ、お客さん」
 玄関のチャイムが低い音を放っている。俺は慌ててゴム手袋をはずして、ドアを開けた。
「あ、管理人さんの――」
 そこで言葉を途切れさせた。娘さんなのかお孫さんなのか、俺は知らない。兎に角、管理人さんと一緒に住んでる(らしい)若くて美人な女の人だ。時折外で見かける。
「こんばんは。これ、おすそ分け」
 差し出された小鉢に盛られていたのは、白いキノコ。
「ぇ」
 俺は思わずのどの奥から低い声が漏れてしまった。
 管理人さんの娘さん(仮)はにこにこしながら立っている。
「今日キノコ狩りに行ってきて。たくさん取りすぎたからみなさんにおすそ分けしてるのよ。あら――キノコはお嫌い?」
「いっ、いえ! 大好きっす!」
 俺は勢いよく首を横に振った。管理人さんの娘さん(仮)はにこにこしたまま、俺の行動に小首をかしげていた。

 ***            ***

 十二月
 テストを終え、疲れきった俺はのろのろと重い足を上げてアパートの階段を上っていた。
 途中、同じ階の高木さんに出会って、軽く会釈をした。
 浪人生らしいけど、俺よりも疲れてそうだ。
「俺も眠ぃけどさ」
 昨日貫徹して日本史を一夜漬けしてたんだもんな……。
 そんな事を考えながら、俺は鞄から鍵をだした。
「ただい……ま?」
 ぶつぶつと呟く声が聞こえて、すぐに途切れた。貧が部屋の真ん中で、半開きになった押入れを見ている。いつもなら飛びついてお帰りぐらいの勢いなのに、今日は違う。
「なした?」
 様子がおかしい。そう思って靴を脱いで一歩踏み出す。
「ん?」
 足元に転がっている分厚い電子手帳。開きっぱなしになったそれのディスプレイに映し出されている文字を俺は凝視した。
『貧乏指数2000』
「どういう基準なんだよ。たしかに今月も赤字っぽいけどさ」
 短くはは、と笑ってみせて、俺は電子手帳を貧にさしだした。
 相変わらず、押入ればかり見ている。
「押入れになんかあんのか?」
 俺の視線も押入れへと移る。見たところ、何も……
「へ?」
 白い煙が、しゅうしゅうと不可思議な音をたてて押入れから流れ込んで来始める。
「わわっ!」
 俺は半歩下がって、壁へと背中をつけた。
「しまったこの壁へなってるほう! 気色わるっ!」
 慌てて一歩前へ。
 白い煙は比重が重いのか、床を満たし始めていた。渦を巻きながら、貧に絡みつく。
「び、貧!?」
 完全に煙に飲み込まれたかとおもうと、辛うじて見えていた貧の小さな影がぐにゃりと形を変えた。
「っ!」
 するすると伸び、緩やかな線をつくり上げる。
 はっと我に返り、俺は部屋の唯一の窓へと飛びついた。
 がたがた、がらっ
 冷たい冬の空気な流れ込んできているが、俺は汗びっしょりだ。
 地面を這うように流れる白い煙をかきだすように外へと出す。
 そのときぴしゃぁっ、と青白い稲妻が空を両断した。
「クイ〜〜〜ン ボンビ〜〜〜!!」
「って、桃○かよ!」
 突然聞こえた奇声思わず突っ込んだ瞬間、煙がぱっと晴れた。
――いや、○電ならキングか。
 そんなどうもいい事を考えた俺の脳みそは、貧の姿を見てフリーズ状態に陥った。
「んっう」
 大きく伸びをしたその姿は、もう貧のそれではなかった。
 体は倍近く大きくなり、小学校低学年くらいだったそれはいきなり俺を飛び越えて二十代後半の色気さえ漂う姿になっていた。
 当然、来ていたボロボロの着物はサイズが合わなくなり、青年誌にでも出てきそうな具合で肌蹴た格好になっている。際どい。
 ていうかもう、ほとんど裸だろこれ。
「あーちくしょ、まだ眠みー」
 体と一緒に伸びたのか、長い艶やかな黒髪をかきあげながら、貧乏神(なのかどうかは分からないが)が腹立たしげに言った。
「んあ」
 俺と眼が合って、貧乏神はゆっくりと立ち上がって――
「ってーか! 頼むから普通の服を着てくれ!!」


「きつい」
「んなこと言われても」
 普通の服、といわれても着たきりすずめの貧以外の服は俺のものしかない。仕方が無いので俺のパーカーを出してやったのだが――確かに、胸元がきつそうだ。
「……で?」
 あんたは何者なんですか、の言葉を大幅に省略してクイーン・ボンビー(自称)を見やる。
「あたしの名前はクイーン・ボンビー。泣く子も更に泣く貧乏神の女王だ」
 要するに最悪の女だってことはまあ理解した。
「さっきまでの格好は?」
 貧とは同一人物なのか、否か。
「悪いが名前と役職しか覚えてない」
 さらりと言ってのけ、出された茶をすする。
「……」
 会話が途切れてしまった。
 俺はどうしたものかと視線を彷徨わせ、いつのまにかそれは押入れへと移った。
 開けっ放しの押入れの奥は、真っ暗だ。
――つーか、これってどういう構造になってんだろうなぁ?
 ふと思った瞬間、押入れの闇がごそりと動いた。
「へ?」
 今日はまだどっきりがあるのか!
 阻止するべく俺は立ち上がって押入れの戸に手をかけた。
 閉めてしまえば出てこれない!
 闇の中から黒い皮の手袋が覗いた。
 がっ、と閉めようとした戸をその手が掴んで、俺のたくらみは阻まれた。
 俺の目の前で広がる、闇の中から人の形をしたものが出てくる摩訶不思議な光景。にゅうぅ、と頭が出てきて真赤な瞳が俺を見つめた。
「っ、ぎゃあああああああ!」
 ここ一年、こんな展開、ばっかりだ……。


「おいおい大丈夫か?」
「な……なんとか」
 額にぬらしたタオルを当てながら、俺は押入れから出てきた青年の問いに答えた。
 青年は、黒い髪、赤い瞳、そして背には蝙蝠に似た翼、と貧やその他大勢と違ってはっきりと人以外の生き物だと分かった。
 ってか、怖ェけど。
「……で、お宅はどちらさん? 悪魔?」
「死神協会認識番号23556356780(以下略)。つまり、死神だな。魔界からの命によりクイーンへ覚醒した貧乏神3269234521259(略)を迎えに来た」
 どうりで怖い顔してらっしゃる。美形だけど。
 ていうかやっぱり名乗るのにも貧の名前を呼ぶのにも五分以上かかってるんじゃねぇか。面倒なシステムだな。
「クイーンって、アレ?」
 俺たちを気にする事もなく茶をすすりワイドショーを見ているクイーンを指さす。
「ああアレだ」
 死神は溜息をついて、そう答えた。なんか、親近感沸くのは俺だけだろうか?
「妹、なんだ」
 ぽりぽりと青白い頬を人差し指でかきながら、死神は言った。
 もうここまできたら驚き方にも困る。
 リアクションのバリエーションが少ない俺は、とりあえずそのツッコミどころをスルーした。
「おにーさん年下に見えるっすけど?」
「俺が若く見えるだけだ」
 と、言う事は三十代前半ぐらいなのか?
「兎に角、クイーンに覚醒した以上、その力はすさまじい。お前に取り憑いたままは危険だ。とりあえず、あいつは魔界に返す」
 別に、というかむしろありがたいくらいなんですけど。
「了承ならここに判子を」
 死神は黒い皮ジャケットのポケットから出てきた何やら書類を差し出した。なんか、事務処理されるのか?
「えっと、判子は……ってあれ?」
「あ、別にサインでも構わないが」
 判子が見つからないとかそういうわけではなく(ボールペンと一体型のシャチハタは胸ポケットだ)、俺はポケットに入ったままの座敷童子から貰ったディスクが無残にも三つくらいに割れている事に気づいたのだ。
「なんだ、それは?」
 死神が覗きこんできた。
「座敷童子から貰ったんだ」
 判子を押しながら、俺は答える。結局あのディスクはなんだったんだろう。
「座敷童子……?」
 小首をかしげた死神が、ふっと気づいたようにテレビを見た。
「お前、電気止まってないのか? ガスは? 水道は?」
「え?」
 んなもん、止まったことないけど。収入より支出は多いけど、一応蓄えってもんがあるし。
「半年以上貧乏神に取り付かれていながら、無事とは……。ちょっとそれ見せてくれ」
「ん」
 割れたそれを手渡す。死神はそれをひっくり返したり顔に近づけたりして、しばらくして感心した様子でそれを返した。
「この座敷童子、よほどの力を持っているようだな。こんな小さなものに座敷童子の力が篭ってる」
 ぶつぶつと呟きながらも書類をしまった死神は、今度はクイーンの方に向きなおった。
「おい、帰るぞ」
「えぇ〜?」
 めんどくさそうに言ったクイーンの襟首をぐいっと乱暴に掴んだ。
「悪いが、この服、少しの間貸していてくれ」
 別に返さないでもいいですけど、と口にした俺に、死神は頭を横に振った。
「それは俺の美学に反する。必ず返そう」
 頑固な奴だ。まあ、返してくれるっていうならいいっちゃいいけど。
「ばいば〜い」
 引きずられたままクイーンは俺に手を振った。俺も手を振り返す。
「いい女王になれよ。女王になるのかしらないけど」
 しばらく二人で見詰め合う。
 出会った頃から始まって、壁ふにゃ騒動(たった今命名)、座敷童子騒動(さっき命名)、キノコ騒動(今命名)……あまりいい思い出とは言いがたい思い出が走馬灯のように駆け巡りって、ちょっとだけこみ上げた。
 全く別の意味で散々だった日々に泣きたくもなったけど。
 押入れの上段へ軽々とクイーンを投げ込んだ。かなり乱暴だが、自分から動こうとしない彼女には仕方が無いだろう。
「貧乏神(略)に変わって礼をいう。今まで世話になったな」
 死神が死神らしくない事を言って、彼もまた押し入れに足をかけた。
「君が我々の手にかからないことを祈る」
 死神流の挨拶らしい。そしてするりと闇の中に消えた。
 後に残ったのは、静寂。
 俺は、やっと一人になった。

 ***              ***

 三月
 貧が居なくなってから数日後に、俺の服は押入れの中にいつのまにか置いてあった。
 その押入れは相変わらず異空間につながっているらしく、閉めて部屋を出たのに帰ってきたら開いていたり、中から奇声が聞こえたりと、一年近くも暮らしているのにまだ慣れない(鍵をかけることを真剣に考えた方がいいと思う)。
 相変わらず隣の部屋と隣接する壁はへにゃっている。来秋にもキノコが生えてきそうな気がする(採取したらゴミ箱よりも押入れに放り込んだらいいかもしれない)。カビ○○ーをかけることを心がけねば。
 この部屋は変わらない、何も。
 久々に母親から連絡があった。近々再婚するのだと。父親からは連絡がないが、俺と暮らす気はさらさら無いだろう。
 相変わらず、俺は邪魔者だ。
 貧が居なくなっても、何も変わらない。
 せいぜい、赤字が黒字に変わったくらい(これは大きな変化だと思うけど)。
 俺は少し広く感じられるようになったこの部屋で、元気だ。
 寂しいなんて、思わない。
 三月だというのに寒くて布団の中で何度も寝返りを打っていたら、朝になっていた。

 ***          ***

 四月
「兄ちゃん居る?」
 何の前触れもなく、押入れが開いた。先週ついに思い立って鍵を取り付けたのだが、見ると外れていた(意味が無い)。
「って、いつぞの座敷童子!」
 久々に部屋の中で大声をあげた気がする。座敷童子はにひゃりと笑って、
「聞いたぜ、貧乏神居なくなったんだってな」
「随分前の話だぞそれ……」
「なんか、性格変わった?」
 座敷童子が眉をひそめた。
「いや、別に」
 俺はとりあえず座敷童子を招きいれた。
「兄ちゃんにあげたディスク、壊れただろ」
 俺は頷く。ディスクの残骸までみせてやった。
「あ、取っといてくれたんだ。まあほのかな効果は残ってるだろうけど」
「で、今日は何の用なんだよ」
 少し言い方が冷たかったらしい。座敷童子は口を尖らせて押入れの前に座った。
「頼みがあんだけど」
「頼み?」
 聞き返すと、彼の笑みは既に戻っていた。悪戯小僧の顔だ。
「幸せ、欲しくない?」
「は?」
「でてこいよ」
 その台詞は、俺ではなく押入れの中に向けられた。
 するりと、闇の中から座敷童子と同じくらいの少年。
「せ、センパイっ」
 気弱そうな瞳が俺と座敷童子を交互に見た。
「?」
「俺の後輩。まだ見習いだから取り憑かせてやって。名前は拓斗(たくと)」
――と、言う事はこいつも座敷童子か?
「ボロいアパートだけど、いいだろ?」
 確認するように、座敷童子が拓斗に言った。
「で、でも」
 ちらり、と拓斗は俺を見た。まだこの人は了承してない、と瞳が語っている。
「悪くない条件だと思うけど」
 座敷童子が今度は俺に向かって言った。拓斗は不安そうにまだ押入れから出てこない。
 俺は、溜息をついた。
「わぁったよ。取り憑いてもいい。だからそこから出てこいよ」
 座敷童子の笑みが強まった。拓斗がようやっと出てきて座敷童子傍らに立って、ぺこりと礼をした。
「よ、よろしくおねがいします! こーしろーさん!」
 顔を上げた拓斗はにっこりと笑った。
「よし、決定。んじゃ頑張れよ拓斗。俺たまに遊びにくっから」
 サッカーボールを弄びながら、座敷童子は押入れの中に消えた。
「あ、ありがとうございますセンパイ!」
 戸がぴったりと閉まるのと同時に、鍵が音もなくかかった(こういうことも出来るのか……不覚)。
「ところで」
 俺は拓斗に向き直った。彼は小首をかしげる。
「炊事とか洗濯とか――できる?」
「え?」
 しばらくの間があって、拓斗は申し訳なさそうに答えた。
「ちょっとしか……できないです」
 思わず笑みがこぼれた。拓斗は俺を不思議そうに見上げる。
「別にいいさ。ちょっと出来るなら。あー、飯食ったか? そろそろ昼飯にしようと思うんだけど」
「まだ――あ、俺てつだいます!」
 嬉しそうに台所に拓斗は台所に立った。
 俺の背後では相変わらず押入れから変な音が聞こえる。
 今年も、騒々しくなりそうだ。


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