関心のない私たち

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 不動唯には友達がいない。
 だったらこうして毎日の様に昼食を共にしている私は一体どうなのだとちょっと考えて、やはり友達ではないな、という結論に至る。
 私は静かで窓から校庭が一望できるこの階段が好きというだけ。不動がいてもいなくてもここに来る。不動もなにか理由があるのだろうけど、胡坐をかいた膝の上に本を乗せて、黙々と焼きそばパンをかじる奴に、風景の理由は当てはまらないと思う。
 弁当の箸を止めて考えていると、不意に不動が本から顔を上げた。
 真っ直ぐに切りそろえられた黒髪の下の、大きな目が不審そうにこっちを見ている。口の端に焼きそばの青海苔がついてるのにさまになっているのが、なんかイヤ。
 やがてくすりと笑って、私の口元を指す。
「唇にふりかけの海苔がついているよ」
 鏡を見ろ。あんたに言われたくない。


 不動唯は猫のようである。
 隣のクラスでありながら、休み時間気まぐれにふらりと現れて、私の机の前で窓の外を眺める。前述のように友達がいないので、別の誰かに会いに来ているわけではない。私とも会話はあったりなかったりする。私だって休み時間が暇なわけでもないのだ。
 開け放った窓枠に肘をついて日光を浴びている様子は、祖母の家で飼っていた黒猫を思い出す。そのまま寝てしまいそうなのを、チャイムが鳴りそうになる時間に引き剥がすのは苦心する。気持ちよさそうで、見ている側としてはそっとしておいてやりたいのだが、そんなところに立たれては、私とその後ろの子たちが黒板を見れないのだ。
 そういや確か、雨の日はこない。暑い日も、やはりこない。
「暑い日と雨の日はそもそも学校にこないから」
 冗談としても、高三にもなってそれはどうかと。


 不動唯はいつも甘いにおいがする。
 隣にいるとふわりと香るのだ。
 シャンプーか、香水か、それともいつも持ち歩いている飴やチョコが日光で溶けたにおいか。
 ポケットの中のそれらは、よく日光浴中に一粒ずつ取り出して口に含んでいる。そして幸せそうな顔をしている。
 見た目はわりとつり目でキツイ顔をしているが、この瞬間だけ、幼く見える。いや、多分こっちが本性だろう。
 お一ついかがと言われたのでもらったが、やっぱり溶けていた。
「溶けてても味は変わらないから」
 確かにそうだと口に含むと、べっこう飴のどこか懐かしい味が広がった。


 不動唯は、白くて細い。髪は染めたように黒い。
 背は私と同じぐらい、平均より少し高いぐらいだが、手首なぞ握れば私の力でも折れそうに見えるほど細いので、正直隣に並びたくない。
 色の白いは七難隠す、とはよく言ったもので。白いカーテンがたなびく窓辺にたたずんでいると、とても絵になる。見た目だけなら、今にも死んでしまいそうな儚さがある。惜しむらくは、教室のカーテンがどこか薄汚いところか。
 細いくせに良く食べる。それも同じものをずっと食べる。
 今月ずっと、彼女の昼食は焼きそばパンだ。それも二つも。見ているこちらが飽きる。
 購買の人気商品であるはずそれをよく毎日手に入れられるなと思ってよく見て見たら、近所の二十四時間スーパーの商品だった。登校前に買うらしい。
「購買で買おうとして売り切れてたら悲しいでしょ」
 そこまでしてか。


 不動唯は――
「青竜寺さん、ノートありがとう」
「どういたしまして。でもいい加減授業にちゃんとでないと、そろそろ貸さないわよ」
 偶然に隣のクラスの前を通りかかって、そんな会話を耳にする。
 不動と、奴と同じクラスの女子だ。席替えをしたらしい、後方の窓側の席になっている。
 ふと目があって、微笑まれた。思わずぷいとそっぽを向いて無視した。
 その翌日から、不動唯は昼休みいつもの場所に来なくなった。もう三日もだ。教室にも現れない。
 別にそういうこともあろうと思っていたら、そもそも、学校に来ていないようだ。
 暑くもなく寒くもなく、雨も降っていないのに。


 不動唯は入院したらしい。
「交通事故だって。全治二ヶ月」
 などと言ってピースサインをしたのは、先日不動と話していた彼女のクラスメイトだ。ポーズと状況が合っていない。
 事故の詳しい様子はわからないが腕の骨を折ったらしい。曰く横断歩道で乗用車にごっちーん。命に別状はないそうだ。それはなにより。
 見舞いに行くのかと問われ、入院先を担任に聞いてみようかと提案されたが、丁重にお断りした。


 不動唯のことを、実はよく知らない。
 ふらりと現れるようになったのはここ半年ぐらいのことで、高二の彼女がどのクラスだったのかも知らない。出身の中学も小学校も知らないければ、そもそもどこに住んでいるのかも知らない。
 家族構成も知らない。一度祖父が厳しいと言っていた気がするが、それが本当に不動の話だったか自信がない。
 過去も今も知らなければ、未来も知らない。理系なのはかろうじて知っているが、進路はどうするつもりなのか聞いたことがない。
 不動唯について逆に知っていることと言えば、好きなものぐらいだ。
 不動と付き合う上で、他に知る必要なんてあるのか。
 私は不動の友達ではない。


 不動唯は一週間ほどで学校に戻ってきた。
 すでに出席日数がアレげだそうだ。暑い日と雨の日は云々、というのは、どうやら半分ぐらい本当であったらしい。
 肘の少し上から手首までのギブスをして不動は昼休みいつもの場所に現れた。制服のブラウスは着れないらしく、片腕だけ通したブレザーの下にTシャツという妙ないで立ちだ。そうまでしてブレザーを着なければならないものなのか。もうすぐ夏服になるこの時期、すでに暑いのに。
 私はすでに早弁にて弁当を食べ終えており、グラウンドで炎天下の下サッカーをする男子たちを眺めながら、図書館の本とのお楽しみタイム中であった。
「心配した?」
 するわけがない。殺しても死ななさそうな性根して何を言うか。
 不動は真っ黒な前髪の下に、意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「うそつき。青竜寺さんが、『あっちの方が死にそうな顔してた』って言ってた」
 どうやらあのクラスメイト、なかなかの曲者のようである。
「心配した?」
 どうしても言わせたいのか、この女。
 答える代わりに図書室で借りた四冊の本の下に敷いていたノートを差し出す。理系クラスの不動と文系の私では教科の内容が若干違うが、現国と古典の内容はそう変わるまい。担当同じだし。いや、確証はないが。
 誰かに借りるからよかったのにと言いつつ、不動はしっかりとそれを受け取った。それで口元を隠してくふふと笑い、くっつくように隣に座ってきた。暑苦しい。それに重たい。のしかかんな。
 一通りいじって満足したのか、不動はギブスの手で器用に焼きそばパンのラップをはがし始めた。まだブームは去ってないのか。
「ここで食べるのが一番おいしい」
 口いっぱいにほおばりながらグラウンドを見下ろし、しみじみとしている。
 不動は――倒錯的だ。
 ところでどうでもいいが、また唇に青のりがついている。
 そう指摘すると、取ってと言って彼女は、顎をあげて顔を近づけた。
 知るか。


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update 2012.08.27
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