覇王

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「近頃、城下に出ているようだな」
 父は執務室の机で書類に目を通しながら、こちらを一切見ずにそう口火を切った。
 珍しく父の方から呼び出されたと思えば、やはりこの話だったか。
 常に護衛という名の監視役が付けられていることは、とうの昔に知っている。そろそろ何か言ってくるかもしれない、そう思っていたころだ。
「何か問題でも」
 机の前に立たされたまま、久々の会話だと言うのに、私は無愛想にそう返す。父は老眼鏡を中指で押し上げただけで、相変わらずこちらを見もしない。
「あの娘はやめておけ」
「なっ」
 思わず、気色ばんだ声を上げた。
 監視されていたのなら、父が彼女のことを知っているだろうとは簡単に予測ができる。しかしながら、それについてとやかく言われるなどとは、全く思ってはいなかった。 
 これが長男であり、また王位継承権第一位である私の兄であるならば、致し方ないと諦めもするだろう。しかし私は四男であり、玉座は兄弟の中で最も遠く、その心づもりもない。今まで父から関心を持たれたことすら記憶にない私は、必要であるならば、いつだって貴族の地位など捨てるつもりでいるのだ。
「あれは、やがて魔女になる娘だ」
「……どういう、意味です」
 真意を測りかねて、私は父を睨む。そして初めて、父もまた私とは違うとび色の目でこちらを見返す。その唇がゆがみ、ややあって、やっとそれが笑ったのだと判断できた。
「いいや、もう、成っているころかもしれんな」
 私は、サッと音を立てて血の気が引くのを感じた。まさか、いや、この男なら、やりかねない。
「こう見えてお前には期待しているのだ。お前に相応しい相手は、わしが用意してやる」
 続けた台詞はほとんど聞こえていなかった。私は踵をかえして執務室を飛び出した。

――この国は、狂っている。
 この国の信仰する神は魔女の存在を認めていない。しかし、異教徒である他国には魔女がおり、その魔女によって格段に栄えはじえめた。西にある『森の国』は、領地の広さこそ我が国と同等であるが、魔女の力を借りて元から盛んであった林業をさらに発展させ、今や世界有数の魔法先進国だ。
 このままでは他国において行かれると、焦りを覚えたのは私の祖父、先代の王の時代だ。ほんの五十年ほど前の話だ。
「殿下、なりません」
 北の塔に続く渡り廊下を抜けた直後、がしゃんと音を立てて槍が交差し、私の行く手を阻んだ。
 二人の衛士が生真面目な顔で、首を横に振る。
「儀式の最中でございます。何人たりとも入れるなと、陛下に命ぜられております」
「どけ」
「なりません」
 私は交差する槍を掴み、衛士を睨んだ。こんなところで時間を食っている場合ではない。今衛士はなんと言った。『儀式の最中』と言ったではないか。
 では、やはり、そうなのか。なんと恐ろしいことを!
「ギャアアア!」
 突然の悲鳴が、私の行く先から響いた。そして、唐突にそれは途絶える。
 衛士の片方は恐れ戦いて槍を手放し両手で耳をふさいでしゃがみ、もう片方は槍こそ取り落とさなかったものの、青い顔で神への祈りをささげている。
 私は一瞬立ち尽くし、絶望が足元を飲み込んでいくのを感じた。
「リェーラ!」
 私は彼女の名を叫び、衛士の止める声を無視して目の前の扉を両手で押す。
 途端に、むせ返るような鉄の匂いが鼻をついた。
 目に入ったのは、血だまり。
 その中に、黒いドレスを着た女が腕を縛られたまま前のめりに倒れこんでおり、絶命しぴくりとも動かない。その前に彼女は立っていた。白く薄いワンピースに返り血を浴び、震える手で黒い短剣を握りしめて呆然しているように見えた。
「リェーラ……」
 私が名を呼ぶと彼女はハッとして私を見、短剣を下した。赤い手でスカートの裾を持ち上げて、小さく礼をする。
「……いいえ殿下。もうリェーラではございません。四十四代目の魔女、サラでございます」
 私はリェーラに近づいて、血だまりの女と彼女を交互に見た。
 倒れているのは先代の、四十三代目の魔女サラだ。この国で魔女になったものはそれまでの名を捨てさせられ、皆そう呼ばれる。初代の魔女の名だった。
「なんて、ことを。リェーラ、どうして」
「神託を、賜りました。私が次代の魔女になる者と」
 リェーラの声は私の想像よりも屹然として聞こえた。
 いや、当然かもしれない。なぜなら彼女はこの国の神を信じている。
――人間が魔女に成る方法は二通りある。
 魔法を極めるか、すでに魔女である者を殺すかだ。
 魔女を認めない神は当然魔法も禁じている。よって魔女に成るには後者しかない。しかし魔女は罪人だ。拘束され、国の繁栄の裏で力だけを一方的に搾取され、民に憎まれ、そして次の魔女に成る者に殺される。
 異国の魔女を捉えて、このシステムを作ってから四十年。たった四十年のはずなのに、リェーラが四十四代目だ。魔女が魔女として生きるのは一年にも満たない者が多いということだ。四十三代目サラの在位はわずか三か月。もっと短い者もいた。
 魔女の交代を決めるのは国王だ。本当は神託など関係ない。だって魔女を禁じたあの神が、魔女を定めることなどあるものか!
「リェーラ……私とこの国を出て逃げよう」
 魔女となった彼女にもう後戻りはできない。ならば一刻も早く父から逃げなければ。
 彼女を死なせてたまるものか。
「なぜです、殿下」
「なぜ、って」
「わたくしは、この国のために魔女になれたこと、嬉しく思っております」
「こんな国の為になど!」
「あなたさまの国です」
 微笑んだ彼女に、私は言葉を失った。
 皆狂っている。魔女を必要としながら認めない国も、それを受け入れる彼女も、私もだ。
 彼女が握りしめたままの短剣を掴む。冷静そのものの言葉と表情とは裏腹に、こわばった手は中々剣を離そうとせず、指を一本ずつ剥がすようにして、ようやっと短剣を奪い取る。
 魔女を殺す黒い短剣を取った私を、リェーラが不安げに見上げた。
「殿下?」
「私は、父にお前を渡すつもりはない。父だけではない、誰にもだ」
 返り血で汚れた頬を右手で拭ってやる。不安の色を湛えたままの瞳に恐ろしい顔をした私の姿が映っていた。
 誰にも彼女の運命を決めさせることは許さない。その存在が神であり、王であるなら、私はそれを――奪うだろう。
「私の魔女になってくれるか」
「もちろんです――我が王」
 頷いたサラに背を向け、私はゆっくりと歩き始めた。


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書いたの:2015/1/23
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