狐の嫁入り

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 空は、今にも降り出しそうな暗く重い色をしていた。
「なにぼんやりしてんのハヅキ。敵機でも見えた?」
「……ううん、てか見えたらぼんやりしてないでしょ」
 トラックの荷台に揺られながら、後ろからあたしの肩を掴んで空を見上げたマツリに首を振る。
「雨降りそう」
「あーホント。やばいなぁ輜重車の幌穴だらけだってのに」
 マツリがトラックの幌を見上げた。小さな穴が無数に空いて、鈍色の空が透けて見える。この国において輜重科はどうも冷遇されがちだ。
「ぼんやりしてちゃダメだよハヅキ。いくら明日から戦線離れるったってさ」
 肩から手を離して、マツリは気を取り直したように窘める。
「うん、ごめん」
「よろしい」
 あたしの謝罪にそう返すと、マツリはどっかりと隣の席に座って、深いため息を吐き出した。
「それにしてもまさか、ハヅキが狐族の嫁になるとは思ってなかったわ……。しかもいづなって、よく知らないけど、狐族の長の孫なんでしょ?」
 狐族は我が国に複数ある少数民族の一つだ。この国の民族はどれも獣を祖に持つと謂われているが、彼らは特にその伝説に大きな意味を持っている。彼らは今でも森の奥深くに隠れ住み、他族とは交わらず、一族に伝わる力を用いて占いや秘術を使う。この戦争で、彼らは兵器のひとつのようにして扱われていた。
「それでなくてもあいつら一塊になって動くじゃない。なんだっけ、変な目隠ししてるし。どうやって知り合ったわけ?」
 彼女の問いに、あたしは曖昧に笑って返した。聞いておいて、マツリのほうもそれほど需要なことではなかったらしい。そういえばさ、と自ら話題の矛先を変えた。
「カズキが言ってたけど、狐って衛生兵ごと敵兵吹き飛ばすんだって。怖くないの」
「怖くないよ」
 何も答えられないけれど、それだけは、きっぱりと否定する。ふぅんと、マツリはどこか不満げな相槌を打った。
「――二人とも。無駄話はそれぐらいにしておきな」
 荷台の最奥から、カオリさんが低い声を出した。
 二人ではぁいと返事をして、あたしは天井の穴の向こうに広がる空を見上げた。



「俺の子を産んでくれ」
「……なんの冗談?」
「冗談でこんなこと言うか」
 両目を覆う、黒い、薄く透けるような布を外しながら、いづなは憮然とした表情を見せた。黒布を外せば出てくる漆黒の瞳に射抜かれるように見つめられる。
「狼族の女は結婚したら兵役を退けるんだろ。お前にとっても悪くないことだ」
 黒布の目隠しは、彼らの祖の獣が、惚れやすく一途だった、という言い伝えによるものだ。初めて見初めた異性を生涯の伴侶と定める、という風習により、本来なら婚姻を結ぶまでは人前で外すことを許されない。
「だって、掟が、あるんでしょ。他族と交わっちゃいけないって」
 狐族は何よりも純血に重きを置く。彼らの力が血によるものだからだ。一族の中だけで血を濃くしていった結果が、今の狐族であるとも言える。
「俺を前にしてよく言うな」
 いづなは鼻で笑うと、そばに倒れたままの古木に腰を下ろした。きつく編まれた長く白い髪の先を指に巻きつけて弄ぶ。狐族の民族衣装の白と、肌の白。緑の森の中にそこだけ空白ができたような錯覚を覚える。
 いづなは、今の狐族には珍しい、混血児だった。狼族のあたしは言われるまで分からなかったが、いづなの持つ漆黒の瞳は、純血の狐族であれば金であるべきらしい。本来なら産まれた時点で殺されるか、よくても生涯幽閉される運命を、あたしたちが生まれる前から繰り返される長い戦争が変えた。どうせ死ぬべき命だと幼い子でありながら最前線に投下されたいづなは幾度もなく戦火を潜り抜けて生き延び、次第に大きな戦果をもたらしはじめ、今は他の狐族たちとほとんど変わらない生活をおくれている。
「じじいどもがようやく現実を見た。この戦争、負けるぞ」
 言い切ったいづなは、どこか冷たい目をしていた。
「優勢だって聞いたけど」
「ひと月中に戦況が変わり、一年以内に休戦が決まる。決まれば、狼帝(ロウテイ)は狐狩りを始めるだろう」
 弄んでいた髪束を手放し、投げ捨てるように自分の背中の向こうへやる。あたしを見つめる瞳に、感情はうかがえなかった。
 なんて答えればいいのか、あたしには咄嗟に分からない。
「それは、予言?」
「途中までは。狐狩りは想像するまでもない。俺が帝でもそうする。狐は此度の戦争で、暴れすぎた」
 その筆頭が俺だけどなと、冷たい目のまま自虐的にいづなは口元をゆがめた。
「敵国に引き渡しを求められたら終わるからな。次の戦争で他国に俺たちが使われたら脅威になる」
「だからって」
「そうなれば女子供でも容赦すまい。――だから、滅ぼされる前に、今のうちに余所の一族の女と子供をつくって血を残しておけ、ということだ。他族の女の子ならお目こぼしがあるかもしれんからな」
 絶句したあたしをよそに、いづなはくつくつと忍び笑いを漏らす。
「昨日の一族会議、珍しく俺にも呼び出しがかかったと思ったら、これだ。ハヅキにも見せてやりたかったな。分かりやすい阿鼻叫喚だった。黒布をその場で外して、屋敷を飛び出したヤツも何人もいたな。今更他族と交われなんて、耐えきれなかったんだろう。人を散々鬼の子だの忌み子だと罵って石を投げた奴らだ。――ざまあみろ」
 忍び笑いが消え、吐き捨てるように言ったいづなには、あたしには理解できようもない、深い闇が漂う。自由こそ手にしたものの、結局のところ、いづなは今でも狐族の中に居場所はない。
「いづなも、殺されるかもしれないの?」
「かもじゃない。そうなれば殺される。見た目は奴らとそう変わらんからな」
 立ち尽くしたまま、頭の中は混乱したまま、冷静さをとりもどせる気配がない。聞きたいことの順序立てもできず、思いつくままあたしはいづなを問い詰める。
「予言を話したら、変わるからって、いつも教えてくれなかったじゃない」
「バカだなぁハヅキは」
 どこかいづなは慈しむように笑って、頬を撫でる。触れられた指先は冷たかった。
「狐族滅亡は最悪の予言だ。まあ、一応、その下に国家滅亡もあるが、俺らにとっては同じだ。ほかの賽の目が好転しかないなら、話してしまったところでなんら変わらん。お前は別に誰にも話したりしないだろうしな」
 買い被りだ、と思ったが口にはできなかった。敗戦の予言なんて、誰にも、同期のマツリにすら、言えるわけがない。
「俺は血を残すなんてどうでもいいんだ。最期にいれるのがハヅキなら、子もどうだっていい」
 漆黒の瞳があたしを見つめる。
「さっきの返事をくれ。お前は狐族じゃないから、目の色で判断できん」
――イヅナの話によれば、伴侶を見つけた狐族は、瞳の色がわずかに変わるらしい。結婚前の狐族の目を見ることがまずないあたしたちには、それが真実かは分からない。
「あたし、は」
 頬に触れたままの手を掴む。もうしばらくすればこの先永遠に失われるのだと知ってしまったそれを、少しでも温めたかった。


「……降ってきた」
 マツリが呟いてハタと我に返った。
「もうすぐキャンプにつくわ、大丈夫」
 マツリと他の輜重兵の会話を聞きながら、あたしはあの時いづなに触れた右手を、左手でくるむように握りしめた。


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書いたの:2014/10
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