私のドッペルゲンガー

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 ――世界には、自分にそっくりな人間が三人は居ると言う。

 『彼女』の噂を聞いたのは、中学に上がってすぐの事だった。
「日曜にさ、ピンクのひらひらのスカート着て街に居た?」
「はぁ?」
 あの頃はまだ同じクラスになって間もなかった暁(あき)が私の席に来て、唐突にそう話しかけてきたことに驚いたのは、今でもはっきりと覚えている。
「ずっとウチに居たけど……」
 人見知りが激しく、ついでにその風貌から人見知りさせるらしい私は、面食らって呟くように答えた。
 少なくとも休日にスカートを穿く趣味はなく、ましてやピンクなそれを穿くなんて、私なら罰ゲームでもやらない。
「ほら、やっぱ違ったじゃん」
 暁の友達が後ろでそう言い、彼女の肩を叩いた。
「西岡さんにそっくりだったんだけどなぁ」
 うーんと、口元に手を当てて考えこむようなポーズをとったままの暁は、私の顔をじっと見つめる。
「双子の妹さんとか?」
 私には四つ離れた私に似てない兄しかいないのだが。
 そう答えると、ますます彼女は顔をしかめて、
「ドッペルゲンガーかな」
 真面目な顔をしてそう言った。
 どういう発想だろうか? しかもそんなに気にするだなんて。
「他人の空似だよ。別にどうだって良いじゃん」
 私と同じ事を思ったらしい彼女の友人が、話を打ち切ろうとそう言った。入学後一週間で孤立するような私とは、これ以上話す必要も話題もないと思っているのだろう。
 暁も考えるポーズをやめた。踵を返して席に戻るのだろうと思った私だが、彼女はまた口を開いた。
「じゃあ西岡さん、数学のノート見せてくれない?」
 暁の第一印象は、脈絡のない女に決まった。

「ごめん悪いんだけど瞳、また数Tの宿題見せて!」
 そして今、その脈絡のない女は昔と同じ様に私の前に来て、両手をぱん、とあわせて私を拝みこんでいる。
「仕方ない……」
 これでよく私と同じ高校に受かったなと思いつつ、私はしぶしぶノートを出した。いつもの事なのだ。
「ありがとー、お礼に面白い事聞いたから話してあげるよ」
 たとえ中身を理解できなくてもノートは綺麗に取るという妙なポリシーの詰まった私のノートを受け取り、暁は今持ち主が不在の前の席に座った。
 折角貸してやったノート、さっさと写せばいいのに。
「しっかし高校の数学は全く理解できんのう相棒」
 誰が相棒だ。腐れ縁の方が正しい。まさか高校まで同じクラスになるだなんて。
「面白い話って?」
 私は一つ前の暁の台詞を無視して、聞き返した。暁の言うことは、急に変わることが多すぎる。
「また出たらしいよ、瞳のドッペルゲンガー」
 私は反射的に眉を顰めた。暁と腐れ縁な関係(親友だと彼女は訂正するだろうが)になるきっかけともなった、例のピンクフリルドッペルゲンガー(暁命名)が出現したのはあの一回きりで、私は当然忘れ去り、他人の空似で片付けた。それがまた、三年後に同じ人に同じ話題を振られるとは。
「暁が見たの?」
「話を聞いたって言ってるじゃん。空手部の子に聞いたんだよ」
 暁は趣味が格闘技観戦にテレビゲームで、だけど何故か所属しているのは茶道部と男バスのマネージャーという不思議な人間だ。最初は絶対私と同じAB型に違いないと思ったのだが、A型だったらしく「見たまんまじゃん!」と意義を唱えたくなる言葉で怒られたことがある。
 多くの人は彼女を『明るくて元気な可愛い娘』と見ているので、当然友好関係は広く、これで数学さえ苦手じゃなければ私と友達などしていなかっただろう、と思う。沢山の人に囲まれて、笑って休み時間を過ごすはずである。
「空手部?」
「そう、柔道部に見学に来たって」
 時間を言われたが、私にはアリバイがある。暁に無理矢理入らされたといっても過言でもない茶道部の部室で、お茶をたてていたはずだ。もちろん、私の隣には暁が居た。
「柔道部……」
 どうでもいいが、私なら絶対見学になど行かない。
「随分とまあ、不思議なご趣味の方ね。同じ学年の人かな」
「ドッペルゲンガー説のほうがいいよぉ」
 バンバンと机を叩きながら、暁は突っ伏した。叩くのを止めて溜息をついたかと思うと、何か気付いたのか顔を勢いよく上げた。
「ってかさ、その子がドッペルゲンガーじゃないんだったら、そろそろ向こうの方も瞳のこと気付いてそうだよね」
「似てると思ってるのはこっちだけかもよ?」
「誰が見ても似てるって。ドッペルゲンガー説が駄目なら生き別れの双子説を推奨するわ」
 握りこぶしを作り、力説する暁。私はこれ以上暁の為に幸せを逃がしたくないので、溜息をつきそうになるのを我慢した。チャイムが鳴って、当然のように暁は私の数学のノートを持って立ち上がった。内職する気か。
「ま、ホントにドッペルゲンガーだったら瞳は会ったら駄目だよ。瞳に死なれると困るんだから」
 数学のノートのために? 私は喉元まででかかった言葉をなんとか飲み込んで、一応頷いておいた。


 掃除が終わって、今日は男バス行くからと暁に言われた放課後。暁抜きで作法室に行っても良いとは思うのだけれど。今日は生憎と茶道部は活動日ではなく、それなら学校に居る意味など毛頭ないと思うのでさっさと帰ることにした私は、自分の自転車のハンドルを握った瞬間に、違和感を感じた。手ごたえがいつもと違う。恐る恐るしゃがみ込んでタイヤをつまんでみると、妙に柔らかい。
「パンクかよ」
 どうせ誰も居ないので思わず声に出して突っ込みをしてみたけれど、やっぱり現状が回復するわけがなく、私はとりあえず自転車の鍵を元通りかけなおした。このまま乗って帰ってもかまわないのだろうか。てか、乗って大丈夫なんだろうか。
 解決の見えない疑問をぐるぐると頭の中で反芻させて、私は自転車置き場に背を向けた。親に連絡しよう。今のご時勢携帯を持っていない私は、玄関に設置してある公衆電話を使うしかない。
 テレホンカードをどこにしまっただろうかと思いながら玄関に入ると、丁度靴箱をはさんで後ろ側から女子生徒の声が聞こえた。下校時間のピークが過ぎたこの場所に、やけにその声が響いている。
「あーもう、なんとかなんないわけ、あの女」
 響くその声の色に、独特の嫌な感覚。誰かの陰口を叩いているのだと、ヒガミ根性と被害妄想は人一倍強い私は咄嗟に理解した。
「だれにでもいい顔して、誰でもあいつが好きだと思ったら大間違いなんだよ」
 随分な言われようだ。一体誰のことを言っているのだろう。
 まあどうせ、私ではないだろうから関係な……
「男狙いで男バスのマネージャーにもなったんだって?」
 男バスのマネ? 上靴を握り締めた手が止まる。
「暁ちゃーん、なんて男子に呼ばれて、いい気になってんじゃないの?」
 ばたん、上靴が音を立てて落ちたときには、私の頭は怒りで、目の前は真赤に染まっていたような気がした。無意識に上靴に足を入れ、靴箱を乱暴に閉める。考えた事は一つ。
 張り倒す。暁はそんなような女じゃない。
 私は一歩踏み出して――――
「ちょっと、それ以上わたしの親友の悪口叩いたらひっぱたくわよ」
 私じゃない、違う声を聞いた。
――え?
「げ」
 陰口を叩いていた方の、たじろぐ声が聞こえた。気まずそうに立ち上がる音、そして玄関から走り去って行く音が続いた。私は一体何か起こったのかと向かい側へと急いだ。
 そこに立っていたのは『彼女』だった。
「誰……?」
 『彼女』は勝ち誇ったように女生徒を見送っていて、私の声に反応して振り返った。私の顔を見て、にっこりと笑って見せた。
「あなたが遅かったから、先に出てしまったじゃない」
 肩を竦めた。
「どうしたの?」
 立ちつくす私に、『彼女』笑顔のまま近づいた。そして、私の肩に手を回した。すぐ至近距離に、『彼女』の顔がある。
「何を驚いているの? わたしはあなたじゃない。分からない?」
 動けない。
「あなたはわたし、わたしはあなた。何も驚く必要なんてないじゃない。同じ人間だもの」
「……っ」
 声が、出ない。
「だけど、『わたし』は二人も要らないと思わない?」
 そっと私の首筋を撫で、両手で包んだ。
 嬉しそうに『彼女』は眼を細めて、私はぎゅっと目を瞑った。
「――なーんてね」
「へ?」
 彼女の声と共にぱっと手が離れて、私は思わず間抜けな声を上げて目を開けた。
「文芸部の友達があたしのそっくりさんが居るって話をしたら、彼女の作家根性に火をつけちゃったっぽくってね。こんな台詞を沢山ならべたホラー系の台本書いてくれたのよ」
 彼女は肩を竦める。唐突な変化に私は声がでない。
「いまいちね。それともあたしの演技力がないのかしら」
 溜息をついて、そばにあった彼女の鞄の前にしゃがみ込んで、台本らしい薄い冊子を出した。
 演技……? 私はようやっとからかわれた事に気付いた。へなへなと、座り込んだ。
 私のドッペルゲンガーの役を見事演じ、脚本家に文句をぶつぶつと呟いている彼女は、よくよく見ればそれほど私に似ていない。むしろ、私に似ていると言ってしまうのは失礼に思える美人だ。
「あ――ありがとう」
 私はようやっと声を絞り出して、そう礼を言った。
「何が?」
「暁のこと、庇ってくれて」
「ああ、あれ。ごめんね、出番奪っちゃって。居てもたってもいられなかったもんだから」
 きっとこの人はいい人なんだろう。私をからかったのはそれに免じて許そう。
「おっと、自己紹介してなかったわ。あたしは東野清香。演劇部所属。よろしく、ドッペルゲンガーさん」
 右手が差し出されて、私はそれを掴んで立ち上がった。
「に、西岡瞳。よろしく」
「知ってる。あなたのこと聞いてそれなりに調べたから。あの藤本暁のお友達でしょ?」
 『あの』の一言が微妙に気になるが。
「友達というか。どっちかってと、腐れ縁といったほうが」
 私は頬を掻きながら、そこだけを訂正した。私の手を放しながら、彼女はあら、と不思議そうに言った。
「友達じゃないの? 少なくとも藤本さんはそう思ってるはずだけど」
「え」
 彼女は帰る途中だったのか、私との話に専念するために、床に転がっていた外靴を自分の下駄箱の中に戻した。
「あたしの友達が藤本さんに接触したことがあってね」
 接触って。
「美人だから演劇部に入らない? って勧誘したらしいんだけど」
「勧誘……」
 しかも美人だからって……。私の呆れに彼女は気付かない。
「そしたらね、彼女なんて言ったと思う? 『マネの仕事もあるし、他に部活に入っちゃったら瞳と一緒に遊べなくなるからゴメンね』だって」
 うふふ、と口に手を当てて、演技っぽく彼女は笑った。
「それって断る言い訳に使われただけじゃあ……」
 疑わしげに言った私に、彼女は笑うのを止めた。
「どっちだって良いじゃない。あなたは友達だって思ってるんでしょ? じゃなかったら悪口止めにだなんて行かないわよ」
「……」
 私は視線を泳がせた。
 そうなのかな、そう思ってもいいのかな。友達だと思っているのが私だけだなんて、勘違いだったんだろうか。
 シリアスな気分に浸っていると、ふいにがっしりと彼女に肩を掴まれた。びくりとしながら彼女の茶色っぽい瞳を見つめると、強張っている私の顔が映っていた。
「そんなことより! 演劇部に入ってあたしと組まない? これだけ似てるんだもん、あたしと組んで双子の役とかどう? ふたりはロッテとか、シュラとか――」
 これより先は、彼女の早口の熱弁が続く。
「はあ」
 曖昧に、私は答えた。
 暁が聞いたらどう反応するだろうか、それだけを考えて。

「で、結局東野さんと瞳の関係って、何にもなかったの?」
「ああ――」
 翌日、登校前に後ろから爆走する足音が聞こえたかと思うと背中を叩かれて、少し涙目になりながら後ろを睨んだら暁だった。出身中学が一緒ということは、殆ど通学路は同じ事になるから、自転車でこれなかった今日の日を少し恨んだ。私に恨まれた哀れな自転車は今頃物置で、母によって自転車屋さんへ連れて行かれるのを待っているのだろう。暁は暁で、途中までご両親に車で送って頂いたらしい。不幸な偶然が重なった事件だった。
 そんなどうでもいい事を考えながら、私は昨日から頭をひねって用意していた言葉を、同じく用意してあったカンニングペーパーならぬカンニングメール(と言ってもただ携帯の未送信メール)を使わずに、舌の上に乗せる。
「実は彼女、私の母方の祖母の妹の娘の子供の弟の先輩らしいよ」
 その言葉に、暁はきょとんとする。
『それってつまりただの他人ってことじゃん!』と彼女が叫ぶまでの二秒間の間、私の前方で笑いながら待ち構える、私のドッペルゲンガーに向って手を上げて応えた。


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