B棟四階の魔女

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『B棟四階には魔女が出る』
 ウチの学校には、七不思議めいた噂がある。
 音楽室のピアノは夜中独りでに演奏し始めるだとか、理科室の人体模型が動くだとか、そういうよくある類のオリジナリティのない話で、その上七つそろっていない。
 そういったものは兄貴の話によると時の流れによって移り変わるようで、だかだか三歳しか離れていない兄妹でさえ七不思議の話題がかみ合わない。
 例えばそう、B棟四階の魔女の話。兄貴にとっては何かどうやら思い入れの深い話であるらしいのだが、私の代にその話はない。
「そうだよな、いなくなるよなぁ」
 時間の流れの無常さでもかみ締めているのか、感慨深くそう兄貴は呟いた。
 私に言わせれば、このインターネットの普及した時代にそもそも七不思議なんて黴の生えかけた噂が流れること自体が、ナンセンスであると思う。大方、期待したほどでもなかった高校生活に飽いた誰かが作ったり、ちょっとした勘違いだったりしたものから派生したものに違いないのだ。
「お前なぁ、B棟の魔女はホントに出たんだぞ」
 ムッとしたように兄貴が言うので、では何故その話がたった三年で消えてしまうのかと言い返した。
「だって、俺らの学年だけの秘密だったからさ……」
 そう口ごもった兄貴を見ながら、どうやら幼い頃からどうでもよいことでムキになってバレバレの嘘をつくクセは、治っていないようだと思った。大学生にもなって、幼い。まあ、そこが可愛らしいとか思うのは別にして。

 兄貴とそういう話をしてから、三日が経った頃だった。
 ウチの学校には、入学してわりとすぐ、学生生活に慣れたか慣れてないかぐらいの頃に、宿泊研修というアレをやるのが慣わしらしい。
 公立の学校であるので、そう遠いところへ行くわけでもなく、バスで一時間半ほどで行ける場所にある山の登山や工芸などの体験をしたりして、これから三年間共に過ごす仲間と交友を深めよう、という主旨らしい。
 ゼロから友達を作らなければならない遠い学区から来た学生にとってはいいかもしれない。だが、何故か、ウチのクラスには一ヶ月目にして女子に派閥が出来上がっていた。
 今年は高校の近くにある中学校からエスカレーター式なのかと思うほど入学者がいたのだが、彼女らが出身校の身内でしか行動をともにしなかったため、自然と出身校で固まるようになってしまったのだ。既に三年、共に過ごした時間は大きく、中々部外者には入り込めないものである。
 同じ中学出身者がいない子は、今はそれ同士で固まっているようであるが、まだ暫くギクシャクしているようである。まあ、当然だろう。
 私は他に二人、同じ中学の子がいた。内一人は仲がいいわけでもないし別のクラスだったが、残りの一人、尋美は幸いにも同じクラスで、移動教室や昼食時に一緒にいる程度には、仲がよい。
 でも時にふと、その程度の付き合いですら面倒だと思う。
 現に今、私は尋美とそこの廊下で分かれ、一人で音楽室へと向う。芸術の教科を尋美と同じ美術でなく音楽を選んだのは、彼女と分かれて一人で行動できる時間がほしいと思ったのもあるかもしれない。
「合唱とか好きだったもんね」
 思えば、私が別の選択肢を選ぶことによって彼女も一人で授業を受けねばならなくなることに気がついた。悪いことをしたな、と一度は背を向けた尋美の小さな背中を視線で見送る。
 余談だが、実はこの学校の音楽教師の授業はリコーダー中心で歌の授業が殆どない。あっても校歌の練習だけ。入学してすぐにそう知った私は少しへこんでいた。
 まだ入学して間もないというのに、早くも私は高校生活に飽いている。プラスのイメージに現実が勝ることは滅多にない。そうは分かっていても、どうしても期待してしまうものだ。
 宿研が終れば変るかもしれない。
 もし宿研でなにもなくても、一ヶ月経って、学校祭の準備期間に入れば、また変れるかもしれない。
 諦めきれてはいない。でも、どこかでこのままではいけないと思う。
 結局、私が成長しなければならないのだろう。
 分かっている、けれど、どうすればいいのだろう。
 普通教室棟であるA棟と、渡り廊下で繋がっているB棟の中央階段を上り、音楽室のある三階へと向う。
 そういえばこの階段は、兄貴のいう、魔女の出る四階へと出れる唯一の階段だった。
 他の一本も四階へとたどり着けるが格技室にしか入れないし、残りの一本は三階で行き止まりだ。
 そもそも四階には女子にはあまり縁のない格技室と美術準備室、ポンプ室しか存在しないし、屋上は出入りが禁止されている。私が三年通ってもこの階に用事ができないかもしれない。
『B棟四階には魔女が出る』
 ムキになる兄貴の顔を思い出しながら、私は携帯で時間を確認した。
――次の授業が始まるまで、あと四分ある。
 私は階段を一段飛ばし一気に駆け上がった。
 新年度早々男子の体育で柔道をすることはなく、やはり四階に人の姿はなかった。
 そしてもちろん、魔女がいるはずもない。
 そんなこと、当たり前なのに。
 私は廊下のど真ん中に据え置かれたトレーニングマシーンに腰掛けながらため息をつく。
 窓の外にはもう一つの校舎が見えた。おそらく三年生だろう、窓辺で楽しげに語らっている。
 なんだか泣きたくなってきた。
 ほんの少し、非日常を期待していた自分が恥ずかしい。
 くよくよと考えて、結局自分でなんとかするしかないのだと言い聞かせる。クラスとなじめずに辛い。音楽で歌うことができないのもさびしい。
 チャイムが鳴りはじめる。われに返って立ち上がった。


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update 2011.03.31
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