裏の裏までも黒く

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 篠崎がどうしようもなく好きなくせに、今の関係を壊すのが嫌だとかで直井が告白する気なんて毛頭ないと知ったときから、こうなるんじゃないかなんてことは簡単に予想できていた。
 案の定、高校に入ってから一年して篠崎は彼女を作った。これも結構予想通りだったけど、その彼女というやつが曲者で、噂じゃ篠崎に釣り合って頭は良いもんの顔もそれなりだしちょっと人格に癖はあるけれど並より上と言っても過言ではない女子、らしい。らしい、ってのはそれが噂だということで、本物は誰も、当人達しか知らない。
 直井は、去年若いお姉さんにぶつけられたウチの車のボンネットみたいにべっこりと凹んで、どこに修理に出せばよいやらと私を困らせている。
「大体さ、さっさと言わないから悪いのよ」
「……」
 たまに誘った放課後のケーキ屋でお代わり自由のコーヒーを飲みながら、彼女は沈んだ眼で私を見ている。
 彼女は普段、滅多な事では凹んだりしない、鋼の心だと自負していた。鋼、そこがきっと問題なんだろう。直井が篠崎に片想いしてからもう十年近くて、つまりそれだけ変わらずにいれた点においても、彼女は確かに鋼の心なんだろう。でも、鋼って、やろうと思えば曲げられるし、凹ませられる。そして凹んだら逆に戻りにくい。
 だから鋼の心を持つ彼女は、立ち直りにくい。
「篠崎の彼女って、どんな人だと思う……?」
 眼と同じ様に、聞いただけで沈んでいると分かる低い声でそう尋ねた。
「本当にいるのかな?」
 私は何も言わずにお代わりのコーヒーに砂糖を入れてかき混ぜた。
「探してみようかな」
 熱に浮かされたような声で、言われた。私は相変わらず答えない。
 彼女の正体を誰も知らない、けれど、誰も直井のようにその存在を疑ったりしない。私もその内の一人だ。
 私が疑わないのにはちゃんとした理由がある。私はその場にいた。だから疑う余地などない。まあ……今でも信じられなかったりはするのだが。 他の人間が疑わないのは、告白直後に、篠崎が親しい友人のみに「ずっと片思いしてきた人と恋人になれた」と漏らしたこともあるからだ。その親しい友人も誰に片思いしているのかは知らなかったらしいし、聞いても教えない。随分と口の堅い男だ。いずれバレるだろうから、その時驚くといいよ、と。
 口が堅くて誠実な、そんな篠崎が好きな直井の癖に、ちっとも信じてやってないのはどうかと思う。大体、彼女に会ってどうするんだろう。納得なんて出来ないくせに。
「うん、調べる」
 自分を励ますように言って、彼女はコーヒーを飲み干した。

 人の噂も七十五日と言うのだから、もう暫くはこの騒動は続くんだろう。篠崎は大変だろうな、とぼんやりと思いながら、私は窓の外を眺めていた。クラスの喧騒の一部に、噂の真相を解明すべく、新聞部の優秀な部長が乗り出したという話を聞いた。乗り出してどうするんだか、な感じである。放っといてくれ、なんで篠崎はそう言わないんだろう。
 誰かが、どうして彼女は名乗り出ないのだ、と怒ったように言った。名乗り出られるわけがないじゃないか。タダでさえ無駄に人気のある篠崎の『彼女』だ。そんなレッテルを貼られたら動きにくくて仕方ない。そんなのはごめんだ。それにこれと言って行事がないせいでお祭り騒ぎの今名乗り出たら、無駄な嫌がらせでもされかねない。直井みたいな篠崎の隠れファンだっているかもしれないのだし。
 私は、喧騒の中で直井に篠崎の彼女がどういう人間であるかを教えてやるか否か、少しの間だけ迷った。彼女には、私が告白の場にいたことを言っていない。言ったところでどうなるだろう。事の顛末は変わらない。知るのが早いか遅いか、私から聞くか他人から聞くか、たったそれだけの違いだ。偉く面倒だ、そう思ってしまった。友達甲斐のない女だと思ってくれても構わない。
 本人にも言ったけれど、言わなかった直井が悪い。「今の私は篠崎の傍にいるだけで幸せ」そんなことほざくから、こんなバカを見るんだ。彼女が出来てしまったら、そう傍にいることなんて出来なるのが分からないんだ。言ったもの勝ちって言うじゃない。
 私にとって人の恋路ってのは邪魔するか協力するためにあるようなものだと思っている。直井の恋路なんて、直井が彼をどれだけ好きかなんて、別に興味はない。私の前で愚痴られるのが嫌だから助言したり励ましたりするだけだ。特に優しさとか、そう言うのが私にあるわけではない。直井は、気付いてないのかもしれない。
 結局、向こうだって聞かなかったし、話すのはやめることにした。
 どちらにせよ直井は彼女探しを生きる支えにしたらしく、忙しく動き回っていて一緒にお昼も食べれなかったのだから、その機会さえなかったのだけど。
 いつでも言える。そう思いながら放課後、一人で街に出た。
 そろそろコートが入用だろう。ぶらぶらと地下街を歩きながら、私はそんなことを考えていた。
「買い物?」
 不意に声をかけられて、振り向く。
「あ、ごめん」
 私はきっと驚いた顔をしていたのだろう。声をかけた人間――篠崎も驚いたように謝った。彼はすぐ、人の感情を自分に移してしまう。
「驚かそうとは思ってなかったんだけど」
「別にいいよ、そんなことで謝られても」
 この言い方は素っ気無かったのかもしれない。困ったように篠崎は軽く小首をかしげたように見えた。困られてもなぁ、と思いつつ、私は最初の質問に答えてやることにした。
「冬物のコート見に来たの。それよりいいの? 私とこんな街の中で一緒にいるところ見たら、誰かに見られてて明日大騒ぎなんじゃない? それでなくたって、大変でしょ」
 もとより確かな情報の少ないこの騒動だ。新たな情報は皆を喜ばせるだろう。私は迷惑なだけだが。
「そうなんだよ、思ったよりみんな騒いで大変なんだよ」
 どこか人事のように篠崎は頷いた。
「あー、大丈夫、俺はもう心の準備できたから」
 そして照れくさそうに、
「彼女の方は強いからなぁ。そこがいいんだけど。まあ、少しは守っていいトコ見せたいし、そろそろバラそうかなって」
 誰もそんなこと聞いてない。というか、口に出して人に言っては意味のない台詞のような気がする。
「……ところで、篠崎こそ買い物?」
 私は話題を変えることにした。こんな会話はどっちも照れくさいだけだろう。
「俺は――」
 何故か彼は少し言いよどんだ。今度は私が小首をかしげる番だった。
「母さんの誕生日のプレゼントを」
「……」
 思わず少し黙ってしまった。
 親しい友人らには、彼がマザコンの気が大いにあるのは有名な話である。彼女ができようが、それは変わらないのらしい。
「あとついでに、もうすぐクリスマスだし、彼女に何がいいかなって……」
 また照れくさそうに付け足した。ついでかよ。ちょっと私は溜息を吐いた。
「クリスマスまで後一ヶ月以上あるのに、気ぃ早すぎ」
 そして、流石に少し言うかどうか迷った。
「それに、小母さんの誕生日だって春でしょ」
 私に見上げられて、篠崎はまいったなぁ、と頭を掻いた。急に真剣な顔つきになる。なんだろうと、私は無駄だと思いつつも考えた。
「……直井に呼び出されて」
 私の顔が険しくなったのかもしれない。篠崎は慌てたように、
「別にそんなんじゃなくて、ちょっと話しただけなんだけど、俺っ」
「言い訳する必要性が見当たらないんだけど」
 ぐっ、と篠崎は口を真一文字に結んで言葉を閉ざした。ややあって諦めたように呟く。
「お前はホント、裏表なくて両方とも黒くてハッキリしてるよなあ……らしくていいけど」
 ほっといてほしい。
 それにしても。直井は私や他の連中に聞き込みをするだなんてまどろっこしい事はせずに、いきなり本丸に攻め入ったらしい。少し感心するが、そんなこと出来るんだったらついでに自分もあんたを好きだったと言ってしまえばよかったものを。篠崎のこの様子じゃ、そんなことはなかったんだろう。喩え気がなくても、篠崎なら顔を真っ赤にして暫く覚めることはないだろうから。
「で、答えたの?」
「え、何を?」
 どうしてこう、こいつは鈍感なのだろうか。こいつがいい、という奴の気が知れない。
「彼女の話聞いてきたんでしょ、直井」
 ああ、と納得したように篠崎は手を打った。
「その話題もあったけど、特に気にしてる様子はなかったよ? なんか、特に話題もなく呼び出されたって感じでちょっと肩透かし」
 む、と私は唇をへの字に曲げた。
「何期待してたわけ?」
「違うって! ただ、何か深刻そうな顔してたから、心配しただけだよ」
 小さく息を吐き出した。
「まいいや」
「つーか、直井なんかあったの?」
「別に、なんでもない。私そろそろ行くから、んじゃね」
 殆ど一方的に会話を打ち切って、私は彼に背を向けた。あ、と篠崎のどこか戸惑う声に私は足を止めて少しだけ振り返った。
「やよい、お前なら、プレゼント貰うなら、何が一番嬉しい?」
 恥ずかしそうに、彼は耳まで真っ赤になって尋ねた。この顔、告白していたときと一緒だな、と私はぼんやり思った。そして少し笑って答える。
「私に聞いたって、意味ないでしょ。……よくわかんないけど、そういうのって自分で考えたものの方が、嬉しいものなんでしょ」
 今度はもう私は、振り向かなかった。

 翌日、クラスに吉報とも凶報とも取れる情報が皆の間を駆け抜けた。
 篠崎の彼女の名前が判明したのである。
――館林夜宵
 篠崎は彼女を、恋人だとついに認めた。私の周りに人が集まってくる。
 もうお分かりのように、そう、私の名前は館林夜宵。これで「たてばやしやよい」と読む。親も妙な名前をつけたもんだとたまに思うが、篠崎は茶化すように似合っている、と言った。
 篠崎が私を彼女だと認めたのなら、私が否定するはずがない。素直に認めた。やはり誰かが昨日、一緒にいるところを見ていて、それで彼に問い詰めたらしい。思ったよりも祝福をされたのだと思う。ちょっとのイヤミを受けた程度だ。篠崎はさり気なく、でも照れくさそうに私のそばで笑っていた。でも彼は気付かなかった。
 私と篠崎の輪にはいるどころか、教室にすらはいらずに、ドアの窓越しに私達――いや、私を睨み付ける直井に。
 不意に、私は昨日、直井が篠崎を街に呼び出した理由を理解した。
 彼女は嘘でも噂でも、彼女になりたかったんだ。見られたかったんだ。
 こんな騒動の最中、街に二人で会っているところを見られたら、「直井が彼女なのではないか」と言われるに決まっている。篠崎は認めないだろうけど彼女が頷けば、騒動は大きくなる。『本物の彼女』は名乗り出るか、否かの選択を迫られる。名乗り出なければ、それはそれで構わない。名乗り出ても、頑として直井が嘘を認めなければ、普通なら『彼女』は篠崎を疑うし、篠崎の皆からの印象は悪くなって、人気も減ってしまうかもしれない。彼は気にしないかもしれないけれど。
 ただ、直井の計算違いは、私はそんな面倒なことしないし、その直後に会っていることだろう。
 相手が悪かったよ、直井。そして運も悪かった。誰もあんたを見ていない。見たとは言わない。代わりに私が見られていた。『本物の彼女』の方が。
 諦めなさいって、神様は言ってるのかもしれないよ。

 放課後になって、私はようやく公認の仲になったのだから一緒に帰ろうと言った篠崎の誘いを丁寧に断った。今生の別れのような気もして教室の窓から手を振って見送る。
 さて、声には出さずに口の中で呟いて、私は振り返った。
 後ろには直井が暗い目をして立っている。
 私は彼女の、直井の恋というドラマの中の悪役だ。覚悟する必要なんてない。罪悪感も感じてはいけない。主人公の彼女がケリを付けやすいように、態度の隅々まで悪役でなければいけない。
 聞かなかったから、言わなかった。悲しむと思ったから、言わなかった。
 偽善に見えるようにそう偽善を並べて、裏の裏まで真っ黒に。
 凹んだ箇所が分からなくなるくらい、凹ませてあげる。
「裏切り者――」
 そう口火を切った直井に、私は薄い笑みさえ浮かべて見せた。


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