精霊これくしょん〜散逸〜

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「初めましてご主人さま。これからどうぞ末永く、よろしくお願いしますね」
「ああよろしく」
 召喚鍋の中から現れたウンディーネに向かって、クラウスは血の滴る手を差し出した。

 ***

 ドカンと激しい爆発音と共に、部屋の中が震えた。
 用意された寝床の水槽の上に横たわっていたウンディーネは顔を上げ、音の原因を探る様に部屋の中を見回す。
 室内は振動の後は静寂に満ちており、特段変わったこと見受けられない。本棚の本が数冊落ちたぐらいだ。
「何の音でしょうか、ご主人さま」
「どうせ隣のラボだ。気にすることはない」
 分厚く重たそうな本を抱えるようにして読んでいたクラウスが、彼女の方を見向きもしないで答える。ウンディーネは「そうですか……」と素っ気ない主に不安そうに返し、水槽の中に身を沈めた。
 精霊魔術研究所に所属する精霊魔術師には、各一部屋ずつ研究室が与えられる。契約した精霊の数で使える魔法の質が決まる精霊魔術師は、そこで多くの時間を精霊召喚に費やしているのが普通だが、彼女の主であるクラウスはウンディーネを呼び出して以来、他の精霊の召喚を試みている様子がない。
 召喚に用いられる大釜には火の気がなく、乾ききっていた。
「ご主人さま。わたしはエレメンタルシードを採りに行かなくてもよろしいのですか?」
「かまわん。どこにも行くな」
 召喚の要となる属性の元の採取を申し出ても、クラウスはこの調子だ。
「ですが」
「エレメンタルシードなら研究所から一定数支給されている。お前を空腹にはさせてないはずだ」
「……ご主人さまは、他の精霊との契約をお求めにならないのですか?」
「必要ない」
 感情のこもらないクラウスの返答を最後に、再び部屋には静寂に包まれる。隣のラボから、「またちがーう!」と女の子の声が聞こえた。
 隣で一体何が起こっているのだろうか。ウンディーネは楽しげな空想をしながらぶくぶくと水槽の中の水と一体化する。
 ふと、クラウスが顔を上げて、姿の見えない彼女の水槽の中を覗き込んだ、不安げな色をした紺碧の瞳とウンディーネは液状化したまましばし見つめあう。姿を現さない彼女に、クラウスはため息をついて本を抱えてラボを出ていき、ガチャリと外から鍵がかけられた。
 ウンディーネは水槽の上に頭だけ具現化した。ラボの中は脱走避けの結界をかけられていて、外には出られない。
 しばし考えたあと、ウンディーネは水槽の中から飛び出し、ドアの隙間からぽたりぽたりと水を滴らせた。 


「クラウス! この引きこもり! あんたが外に出てくるなんてどういう風の吹き回し?」
 ラボを出たクラウスの前に、赤毛の魔術師が立ちふさがって高笑いした。
 彼女こそ隣のラボで爆発音を発生させたアンリエッタだ。精霊魔術師としては中の上といった力量の彼女は、今日も熱心に精霊の召喚をしているようで、両手には召喚に必要な自分の血液の入った瓶を掴んでいる。 
「相変わらず陰気な顔してるわね。こないだの認定試験も舌先三寸でクリアしたんですって? いくらウンディーネと契約してるからって、一匹じゃだめよ。近代精霊魔術師はバランスのよい属性契約が求められるんだからね!」
「煩い。四大精霊誰とも契約できてないお前に言われる筋合いはない」
「むきー! よ、四大精霊なんていなくたって、うちのコリガンは、あんたのウンディーネより強くて可愛いのよ!」
 ぎろりとクラウスはアンリを睨みつけ、大股で脇をすり抜ける。
「ちょっと! たった一体契約してるだけじゃ魔術師失格なんだからね!」
 アンリをやり過ごして図書館への道をゆく彼に、再び何者か後ろから声をかけた。
「クラウス、ちょっとよろしくて?」
「なんだ、メロディ」
 二度も足止めを喰らって、不機嫌そうに振り向いた。少し面食らった顔をした魔術師は、アンリの向こう側のラボの主だった。
「ばかアンリの声が聞こえましたの。あなたまだ」
「説教ならよせ」
「所長もあなたの処遇をお考えのようですわ。このままではラボに居られない可能性もありますわよ」
「首席魔術師も大変だな。他人の進退まで気にしなきゃいけないのか。むしろライバルが減ってよかったじゃないか」
 吐き捨てるように言って、クラウスは背を向ける。クラウス、と窘める声がそれをなおも追いかける。
「最初のウンディーネのことは残念でした。ですが新しい契約を結んだのなら、もう次のことに目を向けてもいいのでは」
「彼女は死んでない! 戻ってきた!」
「別の個体でしょう? みんなあなたを心配しております。私なんかよりも、あなたのほうが本当は首席に相応しかったはず」
 クラウスはそれに言葉を返さなかった。
「彼女を残してきた。急いでるんだ」
 足早に過ぎ去るクラウスに、メロディは俯いてため息をついた。そして足元を這うように流れてくる水たまりに気が付いた。
「ウンディーネ?」
 そっと呼びかけた声に、返事はなかった。


「ウンディーネ?」
 ラボに戻ってきたクラウスは、静かな室内を見回して不安げに呼びかけた。
 水がたっぷりはいっていた水槽は僅かな水滴を残して空になっており、真っ青な顔をしてラボ中を探し回る。
「ウンディーネ!」
「はい、ご主人さま」
 ボコボコと音を立てて水が塊のように膨れ上がり、ウンディーネが姿を現す。
「どこへ行っていたんだ!」
「どこへも行っていませんよ」
「どこへも行くなと言っただろう!」
「どこへも行けません」
 押し問答を繰り返し、珍しく感情をあらわにしてクラウスはウンディーネの肩を掴んだ。
 水で出来た体は死んでいるように冷たい。
「頼む、もうどこにも行かないでくれ」
「わたしは、どこにも行きませんよ。あなたがそう望むのなら」
 ついに泣き始めたクラウスに、ウンディーネは優しく言って肩を抱きしめた。


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書いたの:2015/5/15フリーワンライ企画にて
お題:かんじょう(変換可→感情) 舌先三寸
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