精霊これくしょん〜召喚〜

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 ぐつぐつと大釜が不気味な色で煮えたぎっている。
「そろそろいいかな」
 主様はマントのかくしから赤い液体の入った小瓶を取り出した。中身は朝採血したばかりの彼女の血液だ。
 本来なら大釜の上で指を切って血を垂らすのが古くからのやり方ではあるが、精霊契約の質よりも量を求められる今となっては、ほとんどの者が彼女と同じやり方をするだろう。やるのは老魔術師か、もはや新しい契約を必要としない者が、戯れに行うときだけだ。
 スポイトで一滴、ぽたりと釜の中に落とす。
……ぼこん、とひときわ大きな泡が浮かび、破裂した。
「よし来い!」
 釜から離れながら、主様はまるで攻撃から身を守るかのように、片足を半歩引いて身構える。ゴゴゴゴ、と激しい音を立てて大釜が揺れ、卵が孵るかのように、ひび割れ――
『まいどー、サラマンダーや! 名前だけでも憶えたってなー』
 もうもうと煙を上げながら明るい声と共に現れたのは、一匹のトカゲだ。
「ちっがーう!」
 ああ、と私が天井を仰いだと同時に、主様の声がラボの中に響いた。


 精霊魔術師は、大釜を用いて精霊界から呼び出した精霊と契約を交わすことにより、様々な魔法を使えるようになる。しかし大釜召喚法ではどうしても召喚に運の要素が絡む。これは精霊魔法が確立されてから五百年経った今でも改善されることはない。
「あたしが欲しいのは、イフリートなの! 火のエレメンタルシード6000/風4000/土6000/水3000の黄金レシピ! なのになんであんたなわけ!?」
『そないなこと言われてもなー』
 レシピの書かれた教本をバンバン叩きながら、主様が叫び、サラマンダーは不満げに首をかしげた。私は煮えたぎるもう一つの大釜の番をしながら、それを眺める。主様の血液があれば一瞬で召喚は完了するが、先月血を抜きすぎてお倒れになって以来、私たちがなんとか説得して、回数を制限していただいている。
 この大釜の召喚が完了するまで、おそらくあと二時間といったところ。時間からして、どうもこちらも主様のお求めになる精霊は現れそうにない。
「契約破棄よ。サラマンダーならもう居るの。エレメンタルシードを置いておかえり」
 主様がイフリートを求めるようになってから、一か月が過ぎた。炎の大精霊イフリートの契約は、それなりに素材と運が必要になってくる。おかげで、契約と精霊の維持に必要なエレメンタルシードの備蓄は常にカツカツだ。私も力が足りずにひもじい思いをしているが、致し方ない。
『そんなぁ』
 サラマンダーが悲嘆の声を上げ、大釜の隣に居る私に救済を求めるような視線をくれた。
『コリガンはんも何とか言ったってくださいな。おじょーちゃんみたいな駆け出し魔術師にはイフリートは必要あらしまへんて!』
『いやあ、その』
「余計なお世話よ!」
 主様は真っ赤な髪を振り乱して怒り、早く帰れと言わんばかりに割れた大釜の方へトカゲを追いやる。
『かんにんしてー、ウチにはお腹を空かせた七人の子がおるんや!』
 キィキィ鳴きながら抵抗するトカゲと主様の攻防に、私はおろおろするばかりだ。私も精霊の端くれ、折角契約を取り付けたサラマンダーの気持ちはよくわかる。近頃精霊界もエレメンタルシードの不足が問題視されている。こちら側で採取されたものが上手く循環していないことが一因だ。
 と、そこへがちゃりとラボの扉が開いた。
『帰ったにゃ』
 ケット・シーがセイレーンを引き連れ、採集からかえってきたのだ。いいところに、と私はセイレーンに頼み込み、ラボの隅で歌ってもらった。途端に耐性のない主様は歌声に魅入られて、一方的な喧嘩はひとまず中断する。
『何があったのだにゃ? いや、聞かずとも分かるにゃ。また駄目だったのか、コリガンよ』
『ええ』
 金色の瞳に憐れみを浮かべ、ケット・シーは大釜を見下ろした。そして恐らく隣の釜も駄目そうであると伝えると、ますます彼は悲しげに項垂れた。
『また火の山への往復かにゃ』
 あそこは暑いから嫌にゃ、とため息をつくので、私もまた同情して彼の肩を叩いた。
「ハッあたしったら何を! セイレーン! 帰ってたの」
 主様が我に返り、二人の帰還に気が付いた。
『マスターよ。お望みの水のエレメンタルシードにゃ』
 ケット・シーは腰にさげた麻袋を差し出し、中に入ったキラキラと光る青いかけらを主様に見せる。
 ごくりと生唾を飲んだ私の喉がなった。水のエレメンタルシードは召喚だけでなく、私たち水の精霊の食事にもなる。
「よくやったわ! これでウンディーネの召喚にとりかかれる!」
 セイレーンに惑わされていたことなどすっかり忘れ、主様は麻袋に飛びつき、すぐさま割れた大釜の周りに魔法陣を描いた。白い輝きに包まれた大釜はすぐに元の形を取り戻し、主様は次にはかりで得たばかりの水のエレメンタルシードの量を量りはじめる。一つかみを私とセイレーンにそれぞれ下さった。ケット・シーには土のエレメンタルシードを。
 私の役目は主様の補佐であり、ほとんど消耗のない役目ではあるが、それでもお腹は空くものだ。有り難くいただく。
「悪いんだけど次は火の山に行ってきてくれる?」
『やっぱりですかにゃ……』
 ぼりぼりと黄色く輝くエレメンタルシードを噛み砕きながら、ケット・シーは分かっていましたとばかりにため息をついた。
『ウンディーネて。主やんは四大精霊をお求めなん?』
「あらまだいたの」
 足元で尋ねたトカゲに、主様は素っ気なく言って見下ろした。
「そうよ。イフリートにウンディーネ、ノームにシルフ! あとそれとアウローラとロビンフットで私の精霊図鑑は完成するのよ!」
『つまりまだまだってことですやん。なんや、お隣のラボのお方は、もう図鑑はお揃いにならはったって小耳にはさみましたで?』
『あ』
 それは禁句だ。隣のラボの主であるメロディさまは、主様と同級生でありながら、同期で一番乗りにすべての精霊と契約を交わした優秀なお方だ。いや、決して主様が彼女より劣っているというわけではないのです。ただ運がないと精霊の運用があまりお上手ではないというだけなのです。
 ムキー! っと突き抜けるような甲高い悲鳴が主様から発せられた。
「あんなブラック魔術師の話はしないで! あたしはあいつみたいに休憩なしで精霊たちに採集に行かせたりしないの! いいから早く帰りなさいさよ!」
『いや、最近はかなりそれに近く……』
 ケット・シーが低い声でぼやいたが、幸いにも届かなかった。
 主様は乱暴に召喚レシピの本を閉じ、マントを翻してラボの扉を開ける。
「あたし採血してくるから! 戻ってくるまでに帰ってないと踏み潰すわよ!」
 空気を震わせて扉が閉められ、精霊四人とぐつぐつ煮える大釜が残された。
『さて、我々はまた出かけるかにゃ』
 ケット・シーとセイレーンが補給を終えて、するりと姿を消す。
『まったく近頃の魔術師ときたら。昔は一人の精霊と長く向き合って魔法を極めたもんやで。魔術師の優劣はいつから精霊の数で決まるようになってしもたんやろな』
 嘆かわしいとサラマンダーがため息をつく。
『コリガンはんは、それでええですのん?』
『なにがです』
 未だ帰らないサラマンダーの問いに、私は小さく首をかしげた。
『ウンディーネはんは、水の精霊の中で一番力の強いお方や。召喚に成功しはったら、同じ属性のあんさんは呼び出されなくなってしまうとちゃいます?』
 心配そうなトカゲに、私はやんわり微笑んでみせる。
『そう、でしょうか……』
――コリガン、あんたの友達を増やしてあげようと思うの。そっちの方が楽しいでしょう?
 最初、主様はそう言ってくれた。現状は、今少し本末転倒気味だ。
私は主様だけいてくれればいいんですよ。私だって本当はそう思っているけれど。
『ラボは賑やかな方が、主様が楽しいでしょうから』
 ふうんとサラマンダーは言って、大釜の前に座り込む。
『帰らないんですか。踏み潰されちゃいますよ』
『契約札を破られてないねん。帰りたくても帰られへんのや。難儀な主やんやの』
 ああ、と私は頷く。
 戻ってきた主様はきっと自分の言ったことも忘れてサラマンダーにきっとこう言うだろう。
「さ、大釜に火をつけて! はじめるわよ!」


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書いたの:2015/3/18
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